内容
曹丕(そうひ)が大魏(たいぎ)皇帝の位についたと聞いた劉備(りゅうび)は悲嘆に暮れ、その翌年、献帝(けんてい)が崩御されたと聞くと、喪に籠った。この頃、劉備(りゅうび)六十一歳、諸葛亮(しょかつりょう)四十一歳であった。
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襄陽(じょうよう)の張嘉(ちょうか)という年老いた漁師が、河底から揚がった黄金の印章を諸葛亮に献じる。本当の伝国(でんこく)の玉璽(ぎょくじ)である。
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諸葛亮は諸臣とともに劉備の室へ入り、帝立の議をすすめる。
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劉備は激怒。曹丕のような悪名をうけたくないというのだ。
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諸葛亮は黙って退出し、これ以降、病といって、一切、顔を出さなくなる。
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劉備は心配し、みずから諸葛亮の邸を訪ねて見舞う。
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「あなた様は世の俗論を恐れ、ついに天下の大宗たるお志もないようであります」諸葛亮は言う。
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劉備は決心する。
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建安(けんあん)二十六年の四月、武担(ぶたん)の南に築かれた大礼台で、劉備は玉璽(ぎょくじ)をうけ、蜀(しょく)の皇帝となる。章武(しょうぶ)元年と改元し、国は大蜀(たいしょく)とした。そして、関羽(かんう)の仇を討つため、呉(ご)を伐(う)つことを宣言。
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趙雲(ちょううん)は呉を伐つことに反対し、劉備を諫めるが、劉備の決意は固かった。
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閬中(ろうちゅう)にいる張飛(ちょうひ)は、車騎(しゃき)将軍領司隷校尉(りょうしれいこうい)に任命され、また閬州(ろうしゅう)一円の牧(ぼく)の兼任を命じられる。
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張飛は関羽の死を知ってからというもの、陣中の兵を酔ってはなぐり、醒めては罵ったため、兵のあいだでは張飛に恨みを抱く者もいた。
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この日も張飛は勅使に「なぜ、蜀の朝臣どもは帝にすすめて、一日もはやく呉を伐たんのか」と意見をぶつける。
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