正月十五夜(しょうがつじゅうごや) 三国志(八)図南の巻

・金褘、韋晃、耿紀らの企て

あらすじ

来春早々に、都に火の災いがあるという管輅の予言が、曹操の心にひっかかっていた。「都というからには、もちろん、この鄴都ではあるまい」曹操は、夏侯惇(かこうじゅん)をよんで、兵三万を与え、命じた。命じた内容は、夏侯惇は、不慮の災いに備えるため、許都の郊外に駐屯することと、長史王必(おうひつ)を府内に入れて、御林の兵馬は王必の指揮下に置くことであった。曹操の命を側で聞いていた司馬懿は、眉をひそめ、王必は、酒を好み、油断のある男ですから、軍の統率を誤るかもしれないと、言った。しかし、曹操は、司馬懿の言をきかなかった。長らく曹操の臣下として、勤めてきた者であるため、それに報いるための人事でもあったからだ。夏侯惇は、許都へ向かい、曹操の命のとおりに行動した。

曹操の指示した策が、朝臣たちを刺激した。近衛の指揮を王必に代え、そして、府外に三万の兵を待機させているのは、何か企みがあるに違いない。きっと、皇帝を名乗るつもりだ。そんなことが、漢朝の忠臣の間でささやかれていた。

侍中少府(じちゅうのしょうふ)に奉仕している耿紀(こうき)と同志の韋晃(いこう)は、曹操の企てを止めようと考えていた。韋晃は、有力な味方がひとりいると言い、その人は、金褘(きんい)だと言う。耿紀(こうき)は首を振った。金褘(きんい) は、近衛を指揮している王必の親友であり、曹操の臣下であるからだ。韋晃は、金褘(きんい)は信用できると言い張るため、ふたりは、金褘の本心を探るために、金褘の邸へ出向くことにした。
「これはおめずらしい。せっかくのお越しでも、何もないが、ゆるりと茶でも煮て語りましょう」
韋晃と耿紀を迎えた金褘に、韋晃は頼みがあると言った。その頼みとは、曹操が皇帝となり、金褘も立派な地位につれた時には、韋晃と耿紀にも役職を仰せつけくださいというものであった。韋晃と耿紀は、頭を下げていた。金褘は、黙って席を立ち、召使いが運んできた茶を庭園へ投げ捨てて、言った。
「ふたたび漢朝の権威を取り戻そうと考える同志だと思っていたが、黙って聞いていれば、魏王が漢朝の代を奪ったときには、よき官職に取立ててくれと、漢朝の臣として、よく言えたものだ。絶交だ。早くここから出て行け」
耿紀(こうき)と韋晃(いこう)のふたりは、目を見あわせ、うなづき、先ほどの無礼を詫びた。そして、この無礼な振る舞いは、金褘の本心を探るためだと明かした。耿紀と韋晃は、曹操の野望を話し、その対抗策として、王必(おうひつ)を刺し殺し、御林の兵権を曹操から奪う必要がある。そのために、金褘は我々の上に立って、禁門方を指揮して下さいと、訴えた。以来、三人は、日々夜々、金褘の家で策を考えていた。

ある時、金褘が二人に、故吉平(きっぺい)のふたりの息子を味方に入れようと言った。つまり、亡き太医(たいい)吉平には、兄吉邈(きっぽう)と弟を吉穆(きつぼく)がいる。父吉平は、曹操の暗殺に失敗して、斬られた者だ。その兄弟を呼んで、我々の計画を話せば、父の仇を討とうとするはずだ、というのだ。耿紀と韋晃は同意したので、金褘(きんい)はすぐに使いを出した。

故吉平のふたりの息子は、夜にやってきた。金褘らから計画を聞いた息子たちの気持ちは、高ぶっていた。

年が明け、正月十五日となった。この日は、上元の祝日にあたり、老人も童も遊び楽しんでいる。金褘ら一同は、この夜を、決行の日と決めていた。耿紀(こうき)、韋晃(いこう)たちは四百余人を、吉邈(きっぽう)兄弟は約三百余人を集め、「郊外へ狩りに行く」と言って、武具を揃え、馬を用意し、準備していた。金褘(きんい)は、王必からの招待をうけて、東華門の営へ出かけていた。

メモ

●僭称(せんしょう)
身分を越えて勝手に称号をとなえること。

●さなきだに
ただでさえ。

●切歯扼腕(せっしやくわん)
歯をくいしばり、自分の腕を握りしめて、ひどくくやしがったり怒ったりすること。

●金日磾(きんじつてい)
前漢武帝の側近。匈奴の出身であるが、武帝に寵愛された。

●回天(かいてん)
衰えた勢いを盛り返すこと。

●佳節(かせつ)
めでたい日。祝日。

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