内容
董承(とうじょう)の義盟に連判した西涼(せいりょう)の馬騰(ばとう)と徐州(じょしゅう)の劉備について、曹操は郭嘉(かくか)に問うた。
「一気に劉備を攻め滅ぼすことです」郭嘉(かくか)は言った。
曹操は兵二十万をととのえ、徐州(じょしゅう)へ向かった。
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曹操軍の動きを劉備配下の孫乾(そんけん)は知り、下邳(かひ)の城にいる関羽へ知らせ、その足で、小沛(しょうはい)にいる劉備へ知らせた。
孫乾(そんけん)は劉備の書を持って、袁紹(えんしょう)のもとへ急いだ。
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孫乾(そんけん)が対面した袁紹(えんしょう)は、やつれていた。袁紹(えんしょう)の五男が皮膚病に感染し、重体だからだ。
袁紹(えんしょう)配下の田豊(でんほう)は袁紹(えんしょう)に「許都(きょと)をせめる絶好の機会です」と言った。
袁紹(えんしょう)は「五男の病気が気がかりで、他のことは考えられない」と言った。
孫乾(そんけん)はあきらめた。退出するとき、袁紹(えんしょう)は「徐州(じょしゅう)を捨てて、行き場がなければ我が冀州(きしゅう)を頼りなさい」と言った。
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孫乾(そんけん)はすぐに徐州(じょしゅう)へ引き返した。
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