桃園終春(とうえんしゅうしゅん) 三国志 出師の巻

・張飛、死す

あらすじ

閬中(ろうちゅう)にいる張飛のもとに、蜀の勅使が来た。車騎将軍領司隷校尉(りょうしれいこうい)とし、閬州(ろうしゅう)一円の牧(ぼく)を兼任すべしというのだ。
張飛は、関羽の仇を討たないかぎり、爵位を賜ってもうれしくないと、泣き出した。
やがて勅使が帰ると、すぐそのあと追うように、張飛は成都へ向かった。

一方、成都では、諸葛亮をはじめ、文武百官が呉への出兵を反対していたため、劉備は延期していた。
そんなときに、張飛は成都に現れた。
張飛は劉備の足にすがりつき、泣いて言った。反対する者の意見を聞いていると、関羽の仇を討つ日はないでしょう。
劉備はついに決心し、張飛へ大命を下した。
張飛は喜んで、すぐ閬中へ帰って行った。
しかし軍を整えるとなると、反対する声があがり、諸葛亮は劉備を諫めたが、劉備は聞く耳を持たなかった。

蜀の章武元年七月の上旬、劉備は、兵七十五万を率いて、成都を出発した。
諸葛亮は成都に残り、馬超、馬岱(ばたい)の従兄弟は、鎮北将軍魏延(ぎえん)とともに、漢中の守備に残された。

閬中(ろうちゅう)の自領へ急いで帰った張飛は、部下の范疆(はんきょう)、張達のふたりを呼んで命じた。義兄(あに)関羽の弔(とむら)い合戦だから、武具、旗、甲、すべてを白とした軍装で出陣する。三日のあいだに調達しろというのだ。
そんな短時間にできるわけがないと、ふたりは訴えると、張飛は青筋を立てて、ふたりを大樹にくくりつけ、ふたりを鞭で打ち続けた。
ふたりは悲鳴をあげながら、三日のあいだに調達しますと叫ぶと、やっと縄は解かれた。

その夜、二更の頃。范疆(はんきょう)、張達のふたりは、張飛の部屋へ忍び入り、眠っている張飛の首を斬った。
ふたりは張飛の首をさげて、待たせていた船に乗り込み、一家一族とともに、呉へ走った。
張飛は五十五歳の人生を終えた。

メモ

●厭う(いとう)
いやがる。

●社稷(しゃしょく)
朝廷または国家のこと。

●九五(きゅうご)
天子の位。

●諫奏(かんそう)
君主に忠言を申し上げること。

●峡中(きょうちゅう)
迫った山と山の間。

関連記事

次の章「雁のみだれ(かりのみだれ)」へ進む

前の章「蜀また倣う(しよくまたならう)」へ進む

トップページへ進む