月落つ麦城(つきおつばくじょう) 三国志(九)出師の巻

・関羽、麦城に籠る

あらすじ

広野に野陣を張っていた関羽は、進めば荊州の呉軍が、退けば魏の大軍があり、囲まれていた。
途方に暮れた関羽は、ごくわずかな望みながら、陸口にいたときに交友をもった呉の呂蒙に使いをだし、助けを求めた。
使者に会った呂蒙は、私と国家の命は別だといい、使者をもてなしたあと、帰した。
帰る使者を見た荊州の民は、わが子へ、良人へ、親へと、手紙や慰問品を使者に託し、「呂蒙様のご仁政のおかげで不便なく暮らしていることを伝えてくだされ」と言った。

戻ってきた使者から報告を受けた関羽は、玉砕覚悟で荊州へ突き進み、呂蒙と一戦を交えることにした。
夜が明けると、関羽軍の兵の大半が逃げ落ちていた。荊州の民に託されていた手紙を読んだからかもしれない。

関羽軍が荊州へ向かう途中、呉軍からの襲撃にあい、山間から、わが子を、良人を、親を呼ぶ声が聞こえてきた。
関羽の兵は、白旗を振って、荊州へ駆けこんで行った。
残る四、五百の兵とともに関羽は、ここから近い麦城(ばくじょう)へ逃げ込んだ。

麦城は前秦(ぜんしん)時代の古城であり、壁石垣は荒れ崩れていた。
麦城から遠くない上庸(じょうよう)の城には、蜀の劉封(りゅうほう)、孟達(もうたつ)がいる。救援を求めることにした。
廖化(りょうか)は関羽の書を衣に縫いこみ、外へ出た。
麦城は呉軍に囲まれている。たちまち呉軍に見つかり、追ってきた。
城中から関平の隊が出て、廖化を追う呉軍を追い払った。

廖化は劉封に会い、関羽救援を求めた。
劉封はすぐに返事せず、廖化をおいて、孟達とふたりで話し合った。
孟達は言った。「関羽は、劉家のご養子であるあなたが漢中王の太子になることを妨げた者です」
劉封は廖化の申し出を断ることにした。
廖化は怒ったが、劉封も孟達も奥へ逃げてしまい出てこない。
頼るは劉備しかいない。廖化は、はるか成都へ向かった。

一方、麦城では、呉の督軍参謀諸葛瑾(しょかつきん)が関羽に呉の陣門へ降るようにと説得しにきた。
関羽は苦笑し、諸葛瑾を追い返した。

メモ

●刎頸(ふんけい)
首を切られても悔いないほどの、生死を共にする親しい交際。

●庶子(しょし)
正妻でない女から生まれた子。

●螟蛉の子(めいれいのこ)
似我蜂が螟蛉(アオムシ)を取って育てることから、異姓養子をいう。異姓養子は重大な禁忌であった。

●一杯ノ水、安ンゾ能ク薪車ノ火ヲ救ワン(いっぱいのみず、いずくんぞよくしんしゃのひをすくわん)
小さな仁(一杯の水)では、大きな不仁に克てないこと。『孟子』孔子篇の言葉。

●懦夫(だふ)
おくびょうな男。

関連記事

次の章「蜀山遠し(しょくざんとおし)」へ進む

前の章「鬢糸の雪(びんしのゆき)」へ進む

トップページへ進む