淮河の水上戦(わいがのすいじょうせん) 三国志 出師の巻

・曹丕、淮河から撤退する

あらすじ

呉王孫権は、都督徐盛(じょせい)に孫韶(そんしょう)の命乞いをした。
君主に言われれば、拒否できるはずもなく、徐盛は死罪を取り消した。
しかし孫韶は自分の意見を変えないと主張するため、孫権は呆れてしまい、宮門へ帰ってしまった。

その晩、孫韶は部下三千を連れて、江を渡った。
その知らせを聞いた徐盛は激怒したが、見殺しにすることもできないので、丁奉(ていほう)軍四千を、救援として追いかけさせた。

魏の偵察船は、敵地深く探り、戻ってきた。
呉の領一帯に人民はなく、避難したかもしれないと、報告した。
曹丕(そうひ)は大いに笑った。
五更に近づくと、濃霧がたちこめ、わずかの距離も見えなくなってしまった。
夜が明けると、十里の先もよく見える快晴となった。
曹丕が見たものは、呉の国の沿岸数百里を埋め尽くす無数の兵船であった。
丘には弩弓台(どきゅうだい)があり、石砲楼も設置されていた。
魏の全艦隊が長江へ出てくる気配を見たため、呉軍は決戦態勢を示したのである。

曹丕は淮水(わいすい)の港へ引き返そうとしたところ、河口の洲(す)に旗艦を乗りあげてしまった。
ようやく、船底が洲を離れたところ、烈風が吹き出し、夜には大荒れとなった。
曹丕は船に酔ってしまったため、商港に上陸した。
ここには魏の陸上本営がある。
荒天が収まるのを待つことにする矢先、「蜀の趙雲(ちょううん)が長安を攻めてきた」という知らせが入った。
曹丕は総引き揚げの命を出し、旗艦に戻った。
淮河の上流へ十里ほど進むと、一瞬にして火の海に包まれた。
呉軍が芦萱(あしかや)のしげりに魚油をかけ、陽を放ったのであった。

メモ

●咫尺(しせき)
わずかの距離。

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