絶妙好辞(ぜつみょうこうじ) 三国志(八)図南の巻

・黄忠の扱い方

あらすじ

黄忠では、魏軍夏侯淵には勝てないという諸葛亮の言葉に、老将黄忠は納得いかなかった。何度となく許しを乞うたため、ついに諸葛亮も折れて、法正を監軍として同伴させ、何事も合議によって決めることを条件に認めた。黄忠は喜び、兵を率いて出発した。劉備は諸葛亮に「なぜすぐに、黄忠を向かわせると認めないのか」と尋ねた。諸葛亮は、「老将黄忠が責任を強く感じるようになるまで、簡単に許しては駄目なのです。それまで待たなければならないのです」と言った。そして、趙雲(ちょううん)を呼び寄せ、黄忠が敗れそうになったときのみ援けよと命じて、送り出した。その他の将にも策を与え、完璧の攻略手配を行った。

一方、天蕩山を追われ、定軍山に逃げのびて来た張郃、夏侯尚(かこうしょう)の両名は、夏侯淵(かこうえん)に「劉備みずから蜀の大軍を率いて、漢中を攻めるとの説あり。即刻、魏王に救援の兵をもとめてください」と進言した。夏侯淵は、この旨を曹洪に知らせ、曹洪は早馬を飛ばして都の曹操に知らせた。曹操は文武の大将を召集して、緊急会議を開いた。席上、長史劉曄(りゅうよう)は、曹操みずから全軍を指揮なさるべきと、進言した。

曹操は、四十万の大軍を率いて、七月に都を発ち、九月に長安に入った。魏軍は、潼関(どうかん)を経て、漢中に着いた。漢中を守る曹洪は、曹操を出迎え、張郃が蜀との戦いで、何度も敗れたことを語った。曹操は、勝敗は武士の常の道と、温かい心を示した。曹洪は目下の情勢を曹操に報告した。劉備みずから大軍を指揮し、蜀軍黄忠が定軍山を攻めていること。それを守る夏侯淵は、曹操が来ると知り、固く守るのみだと。それを聞いた曹操は、戦を挑まれながら、出て戦わないのは、恐れていると見られると言い、王命を書して、定軍山の夏侯淵のもとに使いを送った。

夏侯淵は、いつか必ず王命がくると期待していたので、喜んで親書を開いた。夏侯淵は、早速、出撃の準備をとり、張郃に、明日、みずから出て、黄忠を生捕ると言った。張郃は、出撃せずに、堅く守られるが賢明と諫めた。

メモ

●蔡邕(さいよう)
後漢末を代表する儒学者。かつて無理やり董卓に招聘された。

●和帝(かてい)
後漢の第四代皇帝。在位八八~一〇五年。

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