内容
「黄忠(こうちゅう)は魏(ぎ)の夏侯淵(かこうえん)に勝てない」諸葛亮(しょかつりょう)の言葉に、老将黄忠は納得いかず、何度となく許しを乞うた。
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諸葛亮は法正(ほうせい)を監軍として同伴させ、何事も合議で決めることを条件に許す。
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「なぜすぐに、黄忠を向かわせると認めないのか」劉備(りゅうび)は諸葛亮に尋ねる。
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「黄忠が責任を強く感じるまで、簡単に許しては駄目なのです。それまで待たなければならないのです」諸葛亮は答える。そして、趙雲(ちょううん)を呼び寄せ、「黄忠が敗れそうになったときのみ援けよ」と命じて、送り出す。
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天蕩山(てんとうざん)を追われ、定軍山(ていぐんざん)に逃げた張郃(ちょうこう)・夏侯尚(かこうしょう)は、夏侯淵(かこうえん)に「劉備が漢中を攻めるとの説あり。魏王に救援の兵をもとめてください」と進言。
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夏侯淵はこの旨を曹洪(そうこう)に知らせ、曹洪は早馬を飛ばして都の曹操(そうそう)に報告。
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曹操は文武の大将を召集し、緊急会議を開く。
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長史(ちょうし)劉曄(りゅうよう)は、曹操みずから全軍を指揮なさるべき、と進言。
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曹操は四十万の大軍を率い、七月に都を発って九月に長安(ちょうあん)へ入った。そして潼関(どうかん)を経て漢中(かんちゅう)に着く。
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漢中を守る曹洪(そうこう)は曹操を出迎える。
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曹洪は、定軍山を守る夏侯淵は蜀軍黄忠の攻めを固く守っていると報告。
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「戦を挑まれながら出て戦わないのは、恐れているとみられる」曹操は王命を書して、定軍山の夏侯淵のもとに使いを送る。
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夏侯淵は親書を読むと、出撃の準備をとり、「明日、黄忠を生捕る」と張郃に言った。
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張郃は、出撃せずに堅く守られるが賢明と諫める。
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