内容
劉岱(りゅうたい)と王忠(おうちゅう)は許都(きょと)へ戻ると、すぐに曹操に会って言った。
「劉備はなんの野心もありません。丞相(じょうしょう)に服従しております」
曹操は激怒し、極刑を命じた。
そばにいた孔融(こうゆう)が諫めたため、極刑を取り下げ、官爵を取りあげた。
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曹操は自身が大軍を率いて徐州(じょしゅう)を攻めると言い出した。
孔融(こうゆう)は言った。「徐州(じょしゅう)攻めは来春を待っても遅くはありません。まず、荊州(けいしゅう)の劉表(りゅうひょう)と襄城(じょうじょう)の張繍(ちょうしゅう)を勢力下に加えてておくのがよいでしょう」
曹操は劉曄(りゅうよう)を使いとし、襄城(じょうじょう)の張繍(ちょうしゅう)へ送った。
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劉曄(りゅうよう)は張繍(ちょうしゅう)配下の賈詡(かく)の出迎えを受けた。
「この乱世において英傑を求めるのなら曹操しかいません」劉曄(りゅうよう)は言った。
「わたしの考えも同じである」賈詡(かく)は答え、主君張繍(ちょうしゅう)に「曹操に降伏するのが最善策でしょう」と促した。
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そこに河北(かほく)袁紹(えんしょう)の使者が張繍(ちょうしゅう)のもとを訪れた。
袁紹(えんしょう)の使者は「袁紹(えんしょう)配下に張繍(ちょうしゅう)殿をお迎えしたい」と言った。
賈詡(かく)は書簡を破り捨てて、追い返した。
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張繍(ちょうしゅう)は、袁紹(えんしょう)の使者を賈詡(かく)が勝手に追い返したことを知り、賈詡(かく)をなじった。
賈詡(かく)は言った。「二年ぐらいの安泰をお望みなら袁紹(えんしょう)のほうへおつきなさい」
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張繍(ちょうしゅう)は決心した。襄城(じょうじょう)を出発して、曹操のもとへ向かった。
曹操は喜んで張繍(ちょうしゅう)を迎えた。
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一方、荊州(けいしゅう)へ送った曹操の使者は、劉表(りゅうひょう)に相手にされず追い返された。
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張繍(ちょうしゅう)は手始めの働きにと、劉表(りゅうひょう)への書簡をしたため、曹操へ差し出した。
孔融(こうゆう)は使者に禰衡(ねいこう)を推薦した。
禰衡(ねいこう)と劉表(りゅうひょう)は書生時代から交友があり、自分の意思を曲げない性格で、弁舌鋭く、貧乏なため、誰も近づかないという。
曹操はすぐに禰衡(ねいこう)を呼ぶよう命じた。
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禰衡(ねいこう)は普段着の臭い衣服のまま曹操の前に立ち、豪語と悪態をついた。
「われはあらゆる学問・教えを知る。そこらの糞ぶくろと同じにされると迷惑する」
張遼(ちょうりょう)の堪忍袋が切れて、剣に手をかけ、飛びかかろうとしていた。
「待て」曹操は押しとどめた。「近日の酒宴で、鼓を打つ者が欠いている。禰衡(ねいこう)に任せる。よいな」
「よろしい」禰衡(ねいこう)は引き受けて、悠々と退いた。
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