内容
朝、軍師府にいた諸葛亮(しょかつりょう)は「昨夜、劉備(りゅうび)が前殿の廊で倒れていた」と警備の者から聞き、急いで内殿へ向かう。
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劉備は「義弟のうらみを晴らしてくれ」という関羽の夢を二度見たという。
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諸葛亮は「疲れによる幻想です」と言って、すぐに退く。
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彼方から太傅(たいふ)の許靖(きょせい)が、諸葛亮に向かって走ってくる。
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許靖は、関羽が荊州(けいしゅう)を奪われ麦城(ばくじょう)へ落ちのびたと報告。
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「まだ漢中(かんちゅう)王にはご報告しないほうがよかろう。お体を損ねるかも知れぬ」と諸葛亮は許靖に言うと、「予は健康である。荊州も関羽のことも覚悟はしておる」と廊の角に姿をみせた劉備は遠くから言った。
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その日の午(ひる)過ぎに、関羽の幕下廖化(りょうか)が、ぼろぼろな姿で劉備の前に現れる。
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廖化は、上庸(じょうよう)を守る劉封(りゅうほう)と孟達(もうたつ)が関羽の救援を断ったというのだ。
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劉備は怒りに震えた。そして閬中(ろうちゅう)を守る張飛(ちょうひ)に戻るようにと早馬を出す。
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成都に早馬が来た。関羽が首を打たれたという。
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それから三日のあいだ、劉備は寝込んでしまう。
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諸葛亮だけは帳内に入ることを願い求め、早馬が知らせる情報を劉備に伝えていた。
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劉備は出陣して呉を討ち、関羽の仇をうつという。
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諸葛亮はそれを諫め、いまは静観し、呉(ご)と魏(ぎ)のあいだに争いが発したときに、蜀(しょく)は起つべきと主張。
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この日、漢中王の名をもって蜀中に喪(も)が発せられた。
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