朝の月(あさのつき) 望蜀の巻

内容

では、劉備りゅうび呉妹ごまいとの婚儀は七日にわたって行われた。

仮病をとなえて一室に閉じていた孫権そんけんのもとに、柴桑さいそうで療養している周瑜しゅうゆから書が送られてきた。
孫権はその書に書かれていた策を張昭ちょうしょうに相談し、実行に移した。
その策とは、呉の東府に一楽園を築き、そこで劉備に贅沢三昧をさせ、荊州けいしゅうへ帰ることを忘れさせるというものであった。
劉備は過ぎてゆく月日をわすれ、満喫した。

年も暮れの頃。趙雲ちょううんは劉備のそんな姿を見て、思案にくれ、諸葛亮しょかつりょうからのふくろを開けた。

「曹操みずから五十万騎を率い、荊州へ攻め込んで来た」趙雲は劉備に報告をした。
「荊州に帰る」劉備は夫人に言うと、「私も共に参ります」と夫人は言った。

年が明けて、建安けんあん十五年、元日の朝。劉備は夫人とともに呉夫人を訪れた。
「先祖のお祀りをして参ります」ふたりはそう言って、出発した。

劉備と夫人は外城門まで出た。
「森の中にある神泉で清めてくるように」車を押す者や、共の武士たちに命じた。
武士たちが清めている間に、劉備と夫人は駒に乗って走り出し、車から離れた。

長江ちょうこうの埠頭まで来ると、趙雲が五百の兵とともに待っていた。
劉備と夫人は趙雲に守られ、国外へ急いだ。

夕方になり、大酔して眠っていた孫権の耳に知らせが入った。
孫権は激怒し、陳武ちんぶ潘璋はんしょうに劉備を捜させた。
「先の二名は呉妹を恐れている」知らせを聞いて登城した程普ていふは言った。
孫権は、蒋欽しょうきん周泰しゅうたいの二将を呼び、剣を授けて、劉備を追わせた。

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