美丈夫姜維(びじょうふきょうい) 三国志 五丈原の巻

・姜維、蜀に降る

あらすじ

夏侯楙(かこうも)の使いで裴緒(はいしょ)と名乗る者は、安定城にいる崔諒(さいりょう)に書簡を渡したあと、天水郡の太守馬遵(ばじゅん)のもとへも行き、「諸葛亮軍のうしろを攻めよ」という書簡を渡した。

二日後、馬遵は兵を率い、城を出ようとすると、若武者姜維(きょうい)が現れ、「これは諸葛亮の策だ」と馬遵を諫めた。
馬遵は出陣を見合わせた。

しかしその日の午後、姜維の策により、馬遵の軍は天水城を出て、城外約四十里まで進んだ。

馬遵の軍が城を出た後、天水山のうしろに伏せていた趙雲軍は天水城の裏門に進んだ。

そのとき、沢の方から姜維軍が趙雲軍を奇襲してきた。
城中からは、雨のように矢が放たれ、趙雲軍は大打撃を受け、逃げた。

一方、城を出た馬遵軍は、うしろに狼煙をみたので、引き返した。

逃げる趙雲軍は、引き返してきた馬遵軍とぶつかった。
蜀軍の高翔(こうしょう)と張翼が、趙雲の救援に来たため、趙雲軍はようやく逃げることができた。

数日後、蜀軍はふたたび天水城を攻めた。
城の守りは固く、昼間だけで、蜀軍は大多数の兵を失い、夜になると、四方の森林や民家が炎と化した。

炎に囲まれ、諸葛亮は退却を号令し、陣は遠くへ退いた。
蜀軍は大敗を喫したのである。

姜維の母が冀城(きじょう)にいること、天水郡の兵糧が上邽(じょうけい)の城にあることを知った諸葛亮は、魏延と趙雲にそれぞれあたらせた。

蜀軍の動きを知り、姜維の軍は冀城へ、梁虔(りょうけん)の軍は上邽の城へ向かい、魏延と趙雲の軍を追い払った。

諸葛亮は、南安に閉じ込めていた夏侯楙(かこうも)を呼び寄せ、「冀城(きじょう)にいる姜維を説得し、ここに連れてこれるか」と問うた。

夏侯楙は承諾したため、解き放たれた。

冀城(きじょう)へ向かう途中、避難民が多数おり、そのひとりに聞くと、「姜維は蜀に降伏した」という。
夏侯楙は、道をかえて、天水城へ向かうことにした。
  
太守馬遵は夏侯楙を迎い入れた。

・・・

冀城(きじょう)では、立て籠もる姜維を、諸葛亮の軍は取り囲んでいた。

急なことであったため、冀城には、十日ほどの食糧しかなかった。
城の外では、毎日のように、蜀軍の車が兵糧を満載して北道を通っている。
姜維は、蜀軍の車を奇襲し、兵糧を奪いに出た。

そこには、王平、魏延、張翼が待ち構えており、従えて出た兵は討ち取られ、姜維ひとり、天水城へ逃げた。

天水城の開門を姜維が叫ぶと、矢倉の上から馬遵は「裏切り者」と罵った。
姜維は、身に覚えがないため、状況を訴えたが、馬遵は矢を放つよう命じた。
しかたなく姜維は長安の方へ落ちていった。

数十里行くと、前から四輪車が進んできた。
そのうしろには、輿に乗せらた姜維の母がいる。
姜維は馬から飛び降り、すべてを天意にまかせた。

諸葛亮は、姜維の手をとり、母のそばに導き、諭した。
このときより、姜維は蜀に身を置くこととなった。

本陣に戻ると、諸葛亮は姜維に、天水(てんすい)と上邽(じょうけい)の二城を取るの方法を問うた。
姜維はすぐに行動にでた。
尹賞(いんしょう)と梁緒(りょうしょ)へ宛てた書簡をしたため、矢にくくりつけ、天水城へ射込んだのだ。

その矢は、馬遵(ばじゅん)と夏侯楙の目にふれ、尹賞と梁緒は姜維と内通していることがわかった。

尹賞と梁緒を斬れと命じると、そのことを知った尹賞の友が、走って彼の邸へ向かい、このことを告げた。
身に覚えのない尹賞はすぐに梁緒の邸へ向かい、ふたりで裏門から逃げ、城門を開き、蜀軍を招き入れた。

夏侯楙と馬遵は、北門から逃げ、羗胡(えびす)の国境まで落ちて行った。

上邽の城は、梁緒の弟梁虔(りょうけん)が守っていたので、兄梁緒の説得により、蜀に降伏した。

メモ

●搦手(からめて)
城の裏門。

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