内容
鄱陽湖(はようこ)にいた周瑜(しゅうゆ)は、魯粛(ろしゅく)と諸葛亮(しょかつりょう)が帰るとすぐに自邸を立ち、孫権(そんけん)のいる柴桑城(さいそうじょう)へ向かった。
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周瑜は大堂に到着すると、孫権以下、文武の諸将が待っていた。
孫権は周瑜に意見を求めた。
「私に数万の兵と船とを授けてください。曹操軍を打ち砕いてみせます」周瑜は言った。
孫権は剣を抜いて、前にある机を両断して言った。
「曹操に降伏しょうと口にする者がいれば、この机と同じようになる」
孫権はその剣を周瑜に授けて呉軍大都督にした。
周瑜は、夜明けまでに出陣の準備を整えて江のほとりに集まるように、と諸員へ告げた。
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周瑜は家に帰ると、諸葛亮を呼んで、意見を求めた。
「呉君(孫権)は曹操の大軍とくらべられて呉の兵力を憂いておられます。都督閣下(周瑜)は出陣までに登城されて、敵味方の軍数をご説明され、呉君に確たる自信をお与えしておく必要がございます」諸葛亮は言った。
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真夜中であったが、周瑜は城へのぼった。
「君のご決心にご変化はありませんね」周瑜は言った。
「確認するまでもないことだ。ただ、魏に対して呉の兵数の少ないことが気がかりだ」孫権は言った。それは諸葛亮が言っていたことであった。
周瑜は敵味方の兵力を説明し、孫権は初めて確信を得ることができた。
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周瑜は自邸に帰る途中、諸葛亮の智謀に恐怖を覚えた。
自邸に戻った周瑜は、すぐに魯粛(ろしゅく)を呼んだ。
「今のうちに、諸葛亮を斬ろう。将来、呉のわざわいになる」周瑜は言った。
大反対した魯粛は別の策を提案した。それは、呉の正臣となるように兄諸葛瑾(しょかつきん)に説得させる、というものであった。
魯粛と別れた周瑜は江のほとりへ向かった。
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周瑜は五万の将士の前で、行軍計画を発した。
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その頃。諸葛瑾は弟諸葛亮の客館を訪ねていた。
諸葛瑾は弟を呉の臣下にするため説得しようとしたが、逆に、諸葛亮は兄に主君劉備の臣下になることを勧めた。
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周瑜は諸葛瑾から報告をうけた。
「諸葛瑾殿は、やがて孔明(諸葛亮)とともに帰る気ではないか」周瑜は露骨に尋ねた。
「そんなお疑いをこうむるとは心外です」諸葛瑾は言った。
周瑜は冗談だと、笑い消した。
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