あらすじ
一
呉軍が出発した少しあとに、諸葛亮は、程普(ていふ)・魯粛(ろしゅく)・とともに軍船に乗り、あとを追った。
呉軍が江岸に陣営を敷くと、周瑜は諸葛亮に「今夜、兵千余騎を率いて、曹操の兵糧がある聚鉄山(じゅてつざん)を焼き払ってほしい」と頼んだ。
二
諸葛亮は、周瑜が自分を害そうとする意図を見抜いた上で「承知しました」と言葉を残し、帰っていった。
魯粛は諸葛亮の仮屋を訪れると、諸葛亮は鉄甲を着け、夜になるのを待っている様子であった。
魯粛は諸葛亮に尋ねた。「必勝を期して行かれるのですか。それとも、観念されて行かれるのですか」
「この孔明は、水陸いずれの戦いにおいても極めております。敗北などありえないのです」
「しかし、兵千余騎ほどで攻めに行くのは無謀なことでしょう」
「魯粛殿や周都督ならそうでしょう。陸戦は魯粛、船戦は周瑜ありといわれていますが、魯粛殿は船戦が、周都督は陸戦がまったく不得意。片方だけではいけないのです」
「私はいいが、周都督に対しては、お言葉がすぎるのではありませんか」
「いや。この孔明に兵千騎を託して聚鉄山(じゅてつざん)の糧倉が焼き払えると考えていることが、陸戦を不得意としている証拠です」
魯粛は慌てて立ち去り、そのことを周瑜に報告した。
諸葛亮から侮辱された周瑜は、諸葛亮の出陣を中止するよう魯粛に命じ、兵を五千余騎に増やして、みずからが出陣する準備にとりかかった。
魯粛からそのことを聞いた諸葛亮は言った。「五千騎行けば五千、八千騎行けば八千が曹操に敗れます。中止するよう説得してあげてください。また、陸戦を第一戦に選ぶのは不利。船戦を第一戦とし、敵の鋭気をくじくのがよいでしょう」
三
魯粛は周瑜のもとへ走り、諸葛亮のことばを伝えた。
周瑜も危険であることは理解していたため、出陣を中止した。
一方、江夏にいた劉備は、そこを劉琦に守らせて、自身と直属軍は夏口(かこう)の城へ移った。
劉備は諸葛亮からの報告がないため、呉軍への陣中見舞いをおくり、糜竺(びじく)が様子をさぐることとなった。
四
周瑜は糜竺(びじく)に諸葛亮の話題をあたえなかった。
三日目の朝、糜竺(びじく)が暇を告げると、周瑜は「劉予公(りゅうよこう)にも、ここにお越しいただき、大策を講じたい」と告げた。
糜竺が帰ったあと、魯粛は周瑜に劉備を招く目的を尋ねると、周瑜は「もちろん命を奪うためだ」と答えた。
諸葛亮と劉備を亡き者にすることが呉の将来のためだと、周瑜は確信しているのである。
劉備は船に関羽と二十余名を乗せ、周瑜に会いに呉の中軍へ向かった。
諸葛亮は江岸の兵から、劉備がここにきていることを知り、周瑜の本陣へ急いだ。