狂瀾(きょうらん) 赤壁の巻

あらすじ

諸葛亮が帳(とばり)の外から宴席の様子をうかがうと、劉備の背後には関羽が突っ立っている。

関羽がいれば安心だと、諸葛亮は自分の仮屋へ戻った。

劉備は周瑜へ言ってみた。「孔明をここへ呼んでいただけないでしょうか」

「曹操を破ったのちの祝賀の会でお会いになったらいいのでは」と周瑜は答えた。

「そうですね。では今日の御杯も、これくらいでお預けにいたしましょう」と言って、席を立つ機会を得た。そして、周瑜の企てから逃れることができた。

劉備は、関羽と二十余人の従者とともに江岸まで急いでくると、諸葛亮が待っていた。

諸葛亮は劉備に「十一月二十日の日に、趙雲に軽舸(はやぶね)を出し、江の南岸で私を待つようにお命じください」と告げた。

数日後、魏の曹操の書簡を持った使者が呉の陣営に来た。

周瑜はその書簡を読むやいなや、破り捨てた。
曹操が周瑜を部下扱いにしていたからだ。

周瑜は魏の使者の首をはね、供の者を追い返した。

周瑜は曹操の攻撃に備え、甘寧(かんねい)を先手に、蒋欽(しょうきん)と韓当(かんとう)を左右の両翼に敷いた。

使者の首を持って戻ってきた随員から、曹操は報告を受けた。

曹操は蔡瑁(さいぼう)・張允(ちょういん)を呼び「まず、周瑜の陣を破れ。それから、呉の全土を攻略する」と命じた。

建安十三年十一月、魏の大船団は南下を開始した。

魏の大船団と呉軍の船団がぶつかった。

曹操軍は蔡瑁(さいぼう)の弟、蔡薫(さいくん)が討たれ、そして、敗れた。

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