内容
「近年、豊作が続いており、各地の諸官吏(かんり)を襄陽(じょうよう)に集めて慰労の大宴を開かれてはいかがでしょうか」ある日、蔡瑁(さいぼう)は主君劉表(りゅうひょう)に言った。
「襄陽の会にわしは行かぬ」劉表は言い、代わりに劉備を主人役にと言った。
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劉備は三百余騎の兵と趙雲(ちょううん)を連れて、新野(しんや)から襄陽へ向かった。
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襄陽の会では、劉備は国主の代理として主座に着席した。
趙雲は大剣をもって、劉備のうしろに立ち、三百の兵も備えていた。
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蔡瑁はこの襄陽の会で、劉備を亡き者にしょうと準備していた。
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蔡瑁の指示を受けた文聘(ぶんぺい)と王威(おうい)は、劉備の後ろに立つ趙雲を酒に誘った。しかし趙雲は断った。
文聘と王威が何度も趙雲を誘う様子を見て、劉備は趙雲に、休憩にしなさい、と言った。
ふたりは趙雲を連れて別館へ行き、三百の兵も自由を与えられた。
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劉備は、劉表配下の伊籍(いせき)の目くばせに気づいて席を立った。
「すぐお逃げなさい」伊籍は劉備に言った。「西の門だけは兵がいません」
劉備は的盧(てきろ)に乗って、後ろも見ずに逃げた。
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二里ほど逃げると、檀渓(だんけい)の流れに行きあたった。
劉備は的盧を激しい波の中へ突っ込んだ。
的盧は激しい波と闘いながら、中流へ進むと、水煙とともに跳びあがり、大地に立った。
劉備を追いかけてきた蔡瑁が対岸にいた。
劉備は南漳(なんしょう)のほうへ逃げ落ちて行った。
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蔡瑁はむなしく来た道を戻った。
彼方から趙雲と三百の兵が駆けてきた。
趙雲は蔡瑁を問い詰めるが、らちが明かない。
劉備捜索を優先し、趙雲は渓に沿って探したが、劉備は見当たらない。襄陽の城内にもいない。
夜になり、趙雲は新野へ帰って行った。
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