魏延と黄忠(ぎえんとこうちゅう) 図南の巻

内容

劉備(りゅうび)が涪城(ふじょう)を取ったという知らせを聞いた太守劉璋(りゅうしょう)は非常に驚き、成都(せいと)は大混乱した。

劉璝(りゅうかい)、冷苞(れいほう)、張任(ちょうじん)、鄧賢(とうけん)の四将は、劉備の進軍を防ぐため、出陣した。

成都と涪城のあいだにある雒城(らくじょう)に、蜀(しょく)の四将は陣地を構築した。

劉備軍では、老将黄忠(こうちゅう)と魏延(ぎえん)は雒城攻めを譲ることなく争ったため、劉備は一喝した。

龐統(ほうとう)はふたりに作戦を命じた。黄忠は冷苞(れいほう)を、魏延は鄧賢(とうけん)の陣を突破するというものであり、早く敵陣を粉砕したものを第一の功名とした。
黄忠と魏延は勇んで進軍した。
龐統は劉備に「あのふたりは必ず途中で喧嘩をします。主君は兵をつれて彼らの後陣におつづき下さい。涪城は龐統が守ります」と言った。
劉備は関羽の養子関平(かんぺい)と劉封(りゅうほう)をつれ、雒県(らくけん)へ向かった。

黄忠と魏延の部隊は、敵前に先鋒の備えを立てた。
魏延は物見の兵に黄忠部隊の動きを探らせると、「夕刻を過ぎて、兵糧を炊く煙があがっていたので、夜明けに敵へ攻めかかろうとしています」と報告があった。
魏延は「二更に兵糧をつかい、三更にここを立つ」と命じた。
陣払いの時刻を早め、黄忠の進む左の山の道を進んだ。これは老将黄忠の鼻をあかしてやろうという行動に思われる。

未明に蜀の敵陣が見えた。魏延は一気に敵営へ迫った。
蜀の敵は営門を開き、一斉に弓鉄砲を撃ち、山路のほうからは蜀の伏兵が現れ、魏延の部隊は蜀軍に囲まれた。
魏延はその場を去り、五、六里も逃げ退いた。

森や山際から蜀の猛将鄧賢(とうけん)の兵が現れたため、魏延は逃げ道を変えた。振り向くと、鄧賢が追ってきており、大槍を頭上にあげて討とうとしている。
そのとき、一本の白羽箭(びゃくうぜん)が鄧賢の喉を射た。
鄧賢に代わって冷苞(れいほう)が魏延を追った。
そこに黄忠の部隊が現れ、魏延を追う冷苞軍の横を討った。
「黄忠ここにあり、怯(ひる)むなかれ魏延」鄧賢の喉を射て、魏延を救ったのも黄忠であった。
冷苞は退却し、劉璝(りゅうかい)の陣地へ向かった。

劉璝(りゅうかい)の営内には見慣れない他人の旗がなびいている。劉備軍の関平が占拠していたのである。
冷苞は帰る陣がなくなり、山間へ逃げこむと、熊手や投げ縄が飛び出し、冷苞は捕らえらた。これは魏延がしかけた策であり、さきに大敗を喫していた魏延は満足気であったと思われる。

黄忠は劉備に「抜駆けは軍法の大禁。魏延はそれを犯したのです。ご処分を下さらねば軍紀のみだれとなりましょう」と訴えた。
魏延は、捕らえた蜀の冷苞を自身でひいて劉備の前にでた。
劉備は魏延を叱ると、魏延は黄忠の矢に救われたことに感謝し、抜駈けしたことを詫びた。

劉備は冷苞に「雒城(らくじょう)へ帰って、君の友を説き、城を無血で予に渡すように」と説き、陣外へ解放した。

冷苞は雒城へ戻ると、「生け捕られたが、番の兵を斬り殺して逃げてきた」と偽った。
劉璝、張任、冷苞の三将は成都へ援軍を求めた。

ほどなくして、劉璋の嫡子劉循(りゅうじゅん)とその祖父呉懿(ごい)が二万余騎をひきいて、雒城へ援けにきた。
この軍は、呉懿(ごい)を総帥とし、蜀軍の常勝王といわれた呉蘭(ごらん)将軍、雷同(らいどう)将軍なども加わっていた。
呉懿は五千の鋤鍬(すきくわ)部隊に、夜陰を待って、涪江(ふこう)の堤防を決潰(けっかい)すべく、待機を命じた。

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