具眼の士(ぐがんのし) 五丈原の巻

内容

蜀(しょく)の内政を支えていた李厳(りげん)は梓滝郡(しどうぐん)へ送られる。

諸葛亮(しょかつりょう)は内政に力を入れる。

三年が経った。諸葛亮は蜀(しょく)帝劉禅(りゅうぜん)に六度目の北伐を申し出る。

数日後、蜀軍は成都を出る。

蜀軍は漢中へ入る。この頃、蜀の関興(かんこう)は病気のため亡くなる。

蜀軍は五大部隊にわかれ、総兵三十四万で祁山(きざん)へ向かう。

魏(ぎ)の司馬懿(しばい)は祁山(きざん)に蜀軍が現れたことを知る。

魏帝の許しを得て夏侯淵(かこうえん)の子四人をともない、司馬懿は渭水(いすい)へ向かう。魏軍は総兵四十四万である。

魏軍は渭水の前に陣を敷き、渭水の上流九か所に浮橋をかけ、夏侯覇(かこうは)と夏侯威(かこうい)は渭水を渡って、河より西に陣地を張った。本陣の後ろにある東方には城を築き基地とした。

蜀軍は祁山(きざん)に置いた五か所の陣屋のほかに、斜谷(やこく)から剣閣(けんかく)へわたり十四か所の陣屋を築く。運輸と連絡を強化するためだ。

「魏軍に動きあり」諸葛亮は知らせを受ける。魏の大将郭淮(かくわい)と孫礼(そんれい)が北原(ほくげん)へ向かっているというのだ。北原は渭水の上流にある。

諸葛亮は魏延(ぎえん)と馬岱(ばたい)、呉懿(ごい)と呉班(ごはん)、王平(おうへい)と張嶷(ちょうぎ)に策を命じ、向かわせる。

蜀軍の動きを司馬懿は知る。蜀軍が渭水の上流に多くの筏(いかだ)を浮かべているというのだ。

司馬懿は、夏侯覇(かこうは)・夏侯威(かこうい)・郭淮・孫礼・楽綝(がくりん)・張虎(ちょうこ)へ命をだす。

蜀軍魏延と馬岱は北原(ほくげん)への攻撃を始める。

蜀軍呉懿と呉班は筏(いかだ)に柴を積んで、河上で待機。

北原で蜀軍と魏軍はぶつかるが、魏軍に圧倒され、魏延と馬岱は水上へ逃げる。

この頃、呉懿と呉班は待ちきれずに筏を流し始める。

魏軍張虎と楽綝は筏で縄を張り巡らし、蜀軍が流した筏をせき止める。そして呉懿と呉班が率いる蜀軍へ矢を浴びせる。

蜀軍呉班は矢を受け命を落とし、蜀軍の火計も失敗。

魏本陣への攻撃に備えている王平と張嶷のもとに急使が来る。「はやく退け」というのだ

そのとき、王平と張嶷は魏軍に四方から襲われたため、逃げ落ちる。

蜀軍は一万の兵を失い、祁山(きざん)へ立ち帰る。

蜀の尚書(しょうしょ)費褘(ひい)は成都(せいと)からの所用で祁山(きざん)に来る。

諸葛亮は費褘を呉への使いとし、書簡を与える。目的は蜀呉軍事同盟の発動である。

孫権(そんけん)は諸葛亮の書簡を読み、同意。

酒宴となり、孫権は費褘に諸葛亮の右腕を問うと、「内は楊儀、外は魏延」と費褘は答える。

それを聞いた孫権は笑い声をあげる。

祁山に戻った費褘は諸葛亮にありのままを報告。

「さすが孫権、見抜く目がある」諸葛亮は感心するが、蜀に人材がいないことまで孫権に見抜かれたことを嘆いた。

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