魚紋(ぎょもん) 三国志 出師の巻

・司馬懿、五路の作戦を説く

あらすじ

劉備の死を知った魏帝曹丕(そうひ)は歓喜した。

曹丕「この機会に大軍を送れば、蜀を落とすことができるのではないか」

賈詡(かく)と司馬懿(しばい)が口を開いた。

賈詡 「諸葛亮がいるので、難しいです」
司馬懿「まさに今です」

司馬懿は、蜀を討つ計を曹丕に説明をした。
曹丕は、蜀を落とせると考えていたので、司馬懿の計を支持し、決定をした。

蜀の成都では、十五になった故張飛の娘が、幼帝劉禅(りゅうぜん)の皇后となった。
祝典が終わった数日後、魏が五方面から蜀を攻める、という知らせが入った。
幼帝劉禅は、震え上がった。
こんな状況なのに、諸葛亮は、劉禅の前に姿を現さない。
諸葛亮に使いを出したが、門を閉じて、顔すら見せなかったため、劉禅みずから、諸葛亮の邸へ向かった。
諸葛亮は、魏への対策を深く考えていたためだと詫び、対策を劉禅に申し上げた。

その対策とは、
西平関(せいへいかん)から四川(しせん)を攻める遼東(りょうとう)の鮮卑(せんぴ)には、馬超を。
益州の南部を攻める南蛮王の孟獲(もうかく)がには、魏延を。
漢中を攻める降参した蜀将孟達(もうたつ)には、心交のある李厳(りげん)を。
陽平関から成都を攻める大都督曹真(そうしん)には、趙雲を。
長江をのぼり、両川、峡口(きょうこう)を攻める呉の孫権は、蜀の守りが鉄壁であるあいだは、動かない。
というものであった。
しかし呉へ使いにゆく人物がまだ決まっていないと言った。

劉禅は諸葛亮を従えて、御車に戻ってきた。その顔は明るかった。
劉禅のお供の中にいた鄧芝(とうし)という者だけが、その様子を見て、笑っていた。
諸葛亮は鄧芝を呼んだ。

諸葛亮「どうして笑っていたのだ」
鄧芝 「魏への大策をお示しになられたからです」
諸葛亮「君ならば、どのような方策をとるか」
鄧芝 「四路の防ぎはやさしいですが、問題は呉に打つ手一つだと思います」

諸葛亮には感じるものがあった。
次の日、諸葛亮は劉禅に、鄧芝を呉の使いにと申し上げた。
鄧芝は即日呉へ出発した。

このとき、呉は黄武元年と改元した。
魏の曹丕から、魏と呉で蜀を攻めて、領土を二分しようとの申し入れがあった。
閣議を開いたが、賛成と反対にわかれ、決まらない。
陸遜は言った。

陸遜「進むと見せて進まず、戦うと見せて戦わず」

メモ

●嶮(けん)
山が高くけわしい。

●鮮卑(せんぴ)
北方の異民族。後漢後半より、匈奴に代わって勢力を拡大しつつあった。

●奔馳(ほんち)
かけ走ること。

●扈従(こじゅう)
身分の高い人のおともをすること。またその人。

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