内容
劉備(りゅうび)が亡くなったことを知った魏(ぎ)帝曹丕(そうひ)は歓喜し、「この機会に大軍を送れば、蜀(しょく)を落とすことができるのではないか」と群臣に意見を求める。
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賈詡(かく)は反対し、馬懿(そばい)は賛成する。
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司馬懿は、五路より蜀を討つ計を曹丕に説明。
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曹丕は蜀を落とせると考えているので、司馬懿の計を認める。
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蜀の成都(せいと)では、十五になった故張飛の娘が幼帝劉禅(りゅうぜん)の皇后となる。
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祝典が終わった数日後、魏が五路より蜀を攻めるという知らせが入る。
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幼帝劉禅は震え上がるが、諸葛亮(しょかつりょう)は劉禅の前に姿を現さない。
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諸葛亮に使いを出すが、門を閉じて顔すら見せないため、劉禅みずから諸葛亮の邸へ向かう。
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魏への対策を深く考えていたためだったと諸葛亮は詫び、対策を劉禅に述べる。
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諸葛亮を従えて、劉禅は御車に戻る。
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劉禅のお供の中にいた鄧芝(とうし)が笑っている。
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諸葛亮は鄧芝を呼び、「君ならば、どのような方策をとるか」と尋ねると、「問題は呉(ご)に打つ手一つだと思います」と鄧芝は答える。
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次の日、諸葛亮は劉禅に鄧芝を呉の使いに出すようにと提案。
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鄧芝はすぐに呉へ出発。
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このとき、呉は黄武(こうぶ)元年と改元。
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魏の曹丕から、魏と呉で蜀を攻めて領土を二分しようとの申し入れがあった。
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呉は閣議を開くが、賛成と反対にわかれ、決まらない。
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陸遜は言った。「進むと見せて進まず、戦うと見せて戦わず」
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