内容
荀攸(じゅんゆう)は曹操に、劉備の話をした。劉備がここを逃げてから十日あまり経っているからだ。
曹操(そうそう)は荊州(けいしゅう)の政務に追われていて、劉備のことを忘れていた。すぐに諸大将を集め、劉表(りゅうひょう)の旧臣文聘(ぶんぺい)を劉備追撃の道案内とし、鉄騎五千で追わせた。
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江陵(こうりょう)の城へ向かう劉備らの進みは遅く、まだ半分を残していた。
さきに江夏(こうか)の劉琦(りゅうき)へ援軍をたのみにやった関羽からの連絡はなかった。
そのため、劉備のすすめもあり、諸葛亮(しょかつりょう)自身が援軍をたのみに兵五百をつれて江夏へ向かった。
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「劉備を逃がすな」真夜中に、ときの声がした。
劉備は跳ね起きて、長坂坡(ちょうはんは)のほとりまで逃げると、曹操配下の許褚(きょちょ)が迫ってきた。
劉備配下の張飛(ちょうひ)は許褚の相手をし、劉備を先へ逃がした。
迫って来る曹操軍は際限もなく、劉備につき従う者は百余騎しかいなかった。
劉備の妻子や趙雲(ちょううん)などの将士がどこにいるのか、劉備はわからないでいた。
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「趙雲は曹操の軍門に降りました」劉備に合流した糜芳(びほう)は言った。
「事実であれば、趙雲を槍で刺す」追いついた張飛は言って、二十騎ばかりの部下を率いて駆け出した。
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張飛の前に、長坂橋(ちょうはんきょう)という木橋がかかっており、橋東の岸には密林があった。
二十の馬の尾に木の枝を結んで林の中を往来させるよう、張飛は命じた。林の中に数百の兵がいるように見せるためだ。そして張飛自身は大矛を小脇に横たえ、長坂橋の上に馬を立てた。
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趙雲は、前夜の合戦と敗走中に甘(かん)夫人・糜(び)夫人・幼主阿斗(あと)を見失ってしまったため、部下三十余騎とともに、曹操軍の中に入って捜していた。
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傷を負い、気を失って倒れていた簡雍(かんよう)を見つけた趙雲は、駒の背に簡雍を乗せ、部下を付けて劉備のもとへ送らせた。
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趙雲は声を出して探していると、数百人の百姓老幼の一群のなかから、甘夫人が泣きながら趙雲の前に転び伏した。
趙雲は甘夫人を助け起こし、自身の不備を詫びた。
そこに糜夫人と幼主阿斗はいなかった。
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