白帝城(はくていじょう) 出師の巻

内容

蜀(しょく)軍は呉(ご)軍陣営前の広野に陣を置くが、呉軍はまったく動かない。

しびれを切らした劉備(りゅうび)は挑発を繰り返すが、呉軍は動かない。

蜀軍陣営は木の陰もない広野にあるため、昼は炎暑にあい、水は遠くにしかなく、病人が続出。

ある日、呉軍の物見が戻り、「蜀の大軍が遠い山林の方へ陣を移動している」と報告。

陸遜はすぐに高地へ駆け走り、自身の目で確認。呉の陣線の前に一万足らずのしんがり軍が残るのみだ。

まわりの将は「あの一万だけでも壊滅させよう」とはやりたてる。

しかし陸遜は「しんがりは老兵ばかりのおとりであり、先の山陰や谷間に蜀の伏兵がいるだろう、出撃は三日待て」と言い残し、本陣へ帰る。

陸遜の命令に諸将たちは呆れる。

三日が経った頃、物見隊が「蜀のしんがり隊は消え、谷間から七、八千の蜀軍があらわれ、遠くへ退いていきます」と報告。

陸遜は「わが呉軍が動かないため、ついにしびれを切らして退いた。十日のうちに蜀軍は滅亡する」と言い、諸将は鼻先で笑う。

蜀軍は、陸遜の守りによっていたずらに日を費やしたため、水軍をもって呉国本土へ攻め込むことにした。

数日のあいだに、蜀の軍船は長江の川岸を守る呉兵を追いだしては、そこに陣営を築きつつ、長江を下っていく。

その頃、魏(ぎ)の皇帝曹丕(そうひ)は、劉備の死が近づいてきたと笑う。

側臣が理由を問うと、蜀軍は陣営を陸に四十余か所をおき、長江の川岸にも築き、進んでいる。陣線は八百里にわたり、蜀兵七十五万といえ、極めて薄いものになっているからだというのだ。

呉が蜀へ攻め進んだ隙に、魏は呉を攻める計画を曹丕は立てている。いつでも呉を攻撃できるように、三軍を待機させている。

諸葛亮(しょかつりょう)は諸所の要害を固めるために、成都(せいと)から漢中(かんちゅう)にきていた。

馬良は漢中に来た。劉備の許しを得て、蜀と呉の布陣を書き写し、諸葛亮の意見を聞くためだ。

諸葛亮は馬良が差し出した絵図を見て、落胆。すぐに一書を馬良にあずけ、万一のことがあれば、白帝城に入るようにと言う。

諸葛亮は成都へ帰り、馬良は呉の戦場へ馬を飛ばす。

その頃、呉軍の陸遜は諸大将を集め、大号令を下していた。

次の日の日没の頃、江北の蜀の陣地から煙があがる。しばらくすると、下流の陣からも火があがる。南岸にも火が起こり、夜空は真っ赤に焦げる。

劉備がいる陣営のすぐ近くにある林の葉が焼けだす。乾ききっているため、みるみるうちに火が大きくなっていく。

呉の兵が煙の中から現れ、襲ってきたため、劉備は逃げる。

劉備の逃げる先には呉軍が待ち構えている。

趙雲(ちょううん)が劉備を救いにやってきた。馬良と別れた諸葛亮が、成都に帰る際に戦場に最も近い江州を守っている趙雲に一書を飛ばしていたのだ。

劉備は白帝城に逃げ落ちる。七十五万いた蜀の大軍は、今は数百騎しかいない。

趙雲・関興(かんこう)・張苞(ちょうほう)は、劉備が白帝城に入るのを見とどけると、味方を救うために戦場へ戻って行く。

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