白帝城(はくていじょう) 三国志 出師の巻

・劉備、陸遜に敗れる

あらすじ

呉軍陣営前の広野に陣を置いた蜀軍だが、呉軍はまったく動かない。
しびれを切らした劉備は、挑発を繰り返したが、呉軍は動かない。
蜀軍陣営は、木の陰もない広野にあるため、昼は炎暑にあい、水は遠くにしかなく、病人が続出した。

ある日、呉軍の物見が偵察から戻り、蜀の大軍が遠い山林の方へ陣を移動している、と知らせた。
陸遜は、すぐに高地へ駆け走り、自身の目で確認をした。
そこには、蜀の大軍はいなかったが、呉の陣線の前に、一万足らずのしんがり軍が残っている。
まわりの将は、あの一万だけでも皆殺しにしよう、とはやりたてた。
しかし陸遜は、しんがりは老兵ばかりのおとりであり、先の山陰や谷間に蜀の伏兵がいるだろう、出撃は三日待て、と言い残して、本陣へ帰ってしまった。
陸遜の命令に、諸将たちは呆れてしまった。

三日が経った頃、物見隊が、蜀のしんがり隊は消え、谷間から七、八千の蜀軍があらわれ、遠くへ退いていきます、と報告した。
陸遜は、わが呉軍が動かないため、ついにしびれを切らして退いた、十日のうちに蜀軍は滅亡する、と言ったものだから、諸将は鼻先で笑った。

蜀軍は、陸遜の守りによって、いたずらに日を費やしたため、水軍をもって、呉国本土へ攻め込むことにした。
数日のあいだに、蜀の軍船は、長江の川岸を守る呉兵を追いだしては、そこに陣営を築きつつ、長江を下って行った。

一方、その頃、魏の皇帝曹丕は、劉備の死が近づいてきた、と言って、笑っていた。
側臣が理由を問うと、蜀軍は、陣営を、陸に四十余ヵ所をおき、長江の川岸にも築き、進んでいる。陣線は八百里にわたり、蜀兵七十五万といえ、極めて薄いものになっているからだ、とうのだ。
呉が蜀へ攻め進んだ隙に、魏は呉を攻める計画を、曹丕は立てた。いつでも呉を攻撃できるように、三軍を待機させていた。

漢中では、諸葛亮が、諸所の要害を固めるために、成都からきていた。
馬良は漢中に着いた。劉備の許しを得て、蜀と呉の布陣を書き写し、諸葛亮の意見を聞きに来たのだ。
諸葛亮は馬良が差し出した絵図を見て、落胆した。すぐに一書を馬良にあずけ、万一のことがあれば、白帝城に入るよう指示をした。
諸葛亮は成都へ帰り、馬良は呉の戦場へ馬を飛ばした。

その頃、呉軍の陸遜は、諸大将を集め、大号令を下していた。

翌日の日没の頃、江北の蜀の陣地から煙があがった。しばらくすると、下流の陣からも火があがった。南岸にも火が起こり、夜空は真っ赤に焦げていた。
劉備がいる陣営のすぐ近くにある林の葉が焼けだした。乾ききっているため、みるみるうちに火が大きくなっていく。
呉の兵が煙の中から現れ、襲ってきた。
劉備は逃げた。
しかし逃げる先には呉軍が待ち構えている。
そこに趙雲が劉備を救いにやってきた。
馬良と別れた諸葛亮が、成都に帰る際に、戦場に最も近い江州を守っていた趙雲に一書を飛ばしていたのだ。

劉備は白帝城に逃げ落ちた。
七十五万いた大軍は、今は数百騎しかいない。
趙雲や関興、張苞は、劉備が白帝城に入るのを見とどけると、味方を救うため、戦場へ戻って行った。

メモ

●漫罵(まんば)
みだりにののしること。

●愚弄(ぐろう)
こばかにして、からかうこと。

●旱天(かんてん)
ひでりの空。

●懦弱(だじゃく)
いくじがないこと。

●怯懦(きょうだ)
おくびょうで気の弱いこと。

●切歯(せっし)
歯ぎしりすること。きわめて無念に思うこと。

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