遺孤を託す(いこをたくす) 三国志 出師の巻

・劉備、死す

あらすじ

永安宮にいる蜀帝劉備は、日々、呉に敗れたこと深く恥じており、病は重くなっていった。
急使は成都へ走り、諸葛亮に伝えた。
諸葛亮は、太子劉禅(りゅうぜん)を都にのこし、劉永(りゅうえい)と劉理(りゅうり)の二王子をともない、永安宮へ急いだ。
劉備は諸葛亮を近くに呼び寄せた。
劉備「ここまでこれたのは諸葛亮のおかげであるのに、諫めをきかなかったため、呉に敗れてしまった」
劉備は諸葛亮に詫びたあと、諸臣を集め、太子劉禅をを頼む、といった。
そして最後に、太子劉禅に才がなければ、諸葛亮が蜀を治めよ、といった。
蜀の章武三年、四月二十四日。劉備、六十三歳で命を終えた。

諸葛亮は、劉備の柩とともに成都へ帰った。
その年、太子劉禅は皇帝となり、漢の正統を継ぐ大式典を行った。
同時に改元を行い、章武三年は、建興元年とあらためられた。
そのとき、劉禅は十七歳であった。

メモ

●篤い(あつい)
病気が重い。

●浅陋(せんろう)
知識や考えがあさくてせまいこと。

●滂沱(ぼうだ)
涙がとめどなく流れ落ちるさま。

●幽明(ゆうめい)
冥土(めいど)とこの世。

●不壊(ふえ)
こわれないこと。

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