内容
魏(ぎ)の曹休(そうきゅう)は石亭(せきてい)で呉(ご)軍に大敗し、洛陽(らくよう)へ逃げ戻る。しかし、間もなくして、悪性の腫れ物により息絶える。
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蜀(しょく)の諸葛亮(しょかつりょう)は漢中(かんちゅう)に留まり、軍の増強を進め、魏の隙をうかがっている。
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そんななか、趙雲(ちょううん)が帰らぬ人となる。
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楊儀(ようぎ)は諸葛亮の使者として都へ向かい、諸葛亮から預かった一書を蜀帝へお渡しした。その内容は、第二次北伐の決意が書かれた後出師表(ごすいしのひょう)である。
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蜀帝はこれを認める。
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楊儀は直ちに漢中へ戻る。
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諸葛亮は兵馬三十万を率いて、陳倉道(ちんそうどう)へ向かう。このとき、諸葛亮四十八歳である。
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魏の境界にいる偵察隊は、漢中のうごきを洛陽へ伝える。
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魏帝は曹真(そうしん)を大都督(だいととく)に命じる。
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曹真は洛陽(らくよう)の兵十五万を率い、長安(ちょうあん)で郭淮(かくわい)・張郃(ちょうこう)らの部隊と合流。前線に要害を配し、防戦の備えを終える。
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陳倉道を進む蜀軍は、良将といわれる魏の郝昭(かくしょう)が守る城にぶつかる。
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魏延(ぎえん)はこの城を攻めるが、城はまったく動かない。
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蜀の陣中に勤祥(きんしょう)という者がおり、勤祥は城を守る郝昭(かくしょう)と同郷の友だという。
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勤祥は自ら名乗り出て、郝昭に降伏するように説得すると諸葛亮に申し出る。
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敵の城内に入った勤祥は、郝昭の説得を試みるが、馬の背に縛りつけられ追い返された。
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諸葛亮は郝昭を惜しみ、勤祥にもう一度説得するよう命じる。
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勤祥は城の濠ぎわに立って、郝昭の説得を試みるが、矢が降ってきたため、陣に戻り、説得をあきらめる。
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