食(しょく) 三国志 五丈原の巻

・蜀軍、漢中に退く

あらすじ

魏の人たちは曹真を非難した。魏軍が蜀軍に大敗しているからだ。魏帝曹叡は司馬懿に対策を問うと、司馬懿は長期持久戦を進言した。蜀軍の兵糧が尽きるのを待つというものである。魏帝はそれを認めた。朝廷は蜀との対戦方針を伝えるため、韓曁(かんき)を使いに出した。司馬懿は韓曁に「軽々しく追えば必ず諸葛亮の計におちる」と伝言を頼んだ。

曹真は韓曁から方針を聞いた後、副都督の郭淮(かくわい)にこの方針を話した。郭淮は方針は悪くないと前置きをしたあとに、自身の策を披露し、曹真はそれを認めた。曹真は連戦連敗の汚名を晴らしたかったのだ。

一か月後。郭淮は箕谷(きこく)と街亭へ兵を置き、その指揮をとった。陳倉道にいる王双軍とも連絡をとり、万全の体制をとった。そこを青い布をかぶせた何千もの車両が進んでいった。青い布の下には硫黄(いおう)、焔硝(えんしょう)、油などが隠してある。蜀軍がこの車両を襲ったときに火を放ち、蜀軍を吹き飛ばすためだ。

蜀の物見は数千の魏の車両が兵糧を運んでいると、すぐに諸葛亮に報告をした。諸葛亮は兵糧隊の敵将が孫礼という上将軍だと知ると、兵糧の運搬に上将軍がつくはずはなく敵の策だと考えた。諸葛亮は諸将を呼び、出動させた。

魏の物見は車両隊の孫礼に蜀軍が動き出したことを報告し、孫礼はただちに曹真へ急報した。報告を受けた曹真は、祁山(きざん)の西方が空赤く染まれば、諸葛亮の陣へ攻め込めと先鋒隊に命じた。

日も暮れるころ、魏の車両隊は祁山の西で夜営の支度をはじめた。突然、風上から火を放ったものがいる。その者は蜀兵であった。蜀兵が火を放ったことを知った孫礼は、魏の策が蜀に見破られていたことを悟った。千余の車両は焼かれ、蜀軍は二手に分かれて矢を放ち、攻めかかってきた。魏の策は失敗に終わった。しかし空を焦がす火光をみて、曹真に命じられていた先鋒隊は諸葛亮の本陣へ攻め込んだ。当然、魏の先鋒隊は蜀軍に討たれ、夜明けとともに曹真の本陣には敗れた兵が戻ってきた。以後、曹真は固く守ることのみに徹し、魏軍が外に出ることはなかった。

数十日がたち、諸葛亮は引き揚げる旨の使いを陳倉道にいる魏延(ぎえん)の陣へ出した。そして諸葛亮の陣もひそかに撤退を始めた。

一方、魏の曹真の陣に洛陽から左将軍張郃(ちょうこう)が参加した。曹真は数名の間諜に諸葛亮の本陣を探らせた。帰ってきた間諜は「諸葛亮は漢中に総引き揚げしたようだ」と報告した。張郃(ちょうこう)は諸葛亮のあとを急追したが、時すでに遅かった。

陳倉道で魏の猛将王双を相手にしていた魏延は諸葛亮の書簡を受け取り、撤退を始めた。王双は魏延の撤退を知り、すぐに追撃にでた。魏延を追う王双に追いついた味方の一騎が「敵将魏延はまだうしろのほうにいます」と言った。あわてて王双は引き返し、陳倉峡口(きょうこう)の洞門(どうもん)を過ぎようとしたとき、上から大岩石が落ちてきて旗本たちを押しつぶした。そこに魏延があらわれ、王双は討たれた。魏延は王双の首を槍の先に揚げ、漢中へ引き揚げた。

メモ

●卿(けい)
君主が親しみを込めて臣下に呼びかける語。

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