蜀呉修交(しょくごしゅうこう) 三国志 出師の巻

・鄧芝、油の煮え立った大釜のなかへ

あらすじ

呉は、魏と蜀の戦況を伺っていた。

蜀を四方面から攻めるという魏の作戦は失敗に終わったと、知らせが呉に届いた。

そこへ、鄧芝(とうし)という者が蜀の使者として孫権を訪ねてきた。

孫権は、殿前の庭に、大釜を用意し、そこに油を入れて、煮え立たせたあと、蜀の使者鄧芝を呼んだ。
上にいる孫権を、鄧芝は仰ぎ見た。
鄧芝の礼儀を欠いた行動に、孫権は大喝した。
孫権の器量の狭さに、鄧芝は嘆くと、孫権は鄧芝を殿上の座に迎え上げた。

蜀呉の修好を鄧芝は求めた。
説き終わった鄧芝は、身をもって証明するため、座から走り出して、油の煮え立った大釜のなかへ飛びこもうとした。
まわりにいた者が、あわてて鄧芝を抱きとめた。

孫権は上賓の礼をとって、鄧芝を迎えあらためた。
鄧芝が蜀へ帰るにあたり、答礼使として呉臣張蘊(ちょううん)が同行することとなった。

蜀の歓迎に対して、張蘊は尊大な振る舞いをしていた。

張蘊が呉へ帰るため、最後の晩餐会を催したとき、益州の秦宓(しんふく)が酒宴のなかにあがり込み、張蘊の近くに座り込んだ。
秦宓が学士であるとわかった張蘊は、次から次へと難問を吹っかけた。
秦宓はすべての問いに答えたため、張蘊は、酒もさめてしまい、退席してしまった。

諸葛亮は張蘊を心配した。
「秦宓は書の知識しか知らない子供、あなた様は国家を経営する実学を知っておられる大人」と諸葛亮は張蘊に言った。
次の日、張蘊は呉に帰国し、回礼使として鄧芝(とうし)が同行した。

その後、蜀呉同盟は成立した。

メモ

●細作(さいさく)
忍びの者。

●僥倖(ぎょうこう)
思いがけない幸運。

●鼎(かなえ)
三本足の鉄のかま。

●振り仰ぐ(ふりあおぐ)
顔を上へ向けて高い所を見るのこと。

●唇歯(しんし)
互いに利害関係が密接であること。

●卜する(ぼくする)
よしあしを判断する。

●半酣(はんかん)
酒席、酒興が最高潮であること。

関連記事

次の章「建艦総力(けんかんそうりょく)」へ進む

前の章「魚紋(ぎょもん)」へ進む

トップページへ進む