周瑜・気死す(しゅうゆ・きしす) 望蜀の巻

内容

劉郎浦(りゅうろうほ)とよぶ一漁村まで呉(ご)から逃げて来た劉備(りゅうび)と夫人は、ひとつの船もなく、そこから動きようがなかった。
銅鑼(どら)の音が聞こえ、追手の大軍がやってきている。
そのとき、諸葛亮(しょかつりょう)が二十余艘の快足舟(はやぶね)を率いてあらわれた。
劉備と夫人、伴っていた五百の兵を各々の船に乗せ、入江の湾口を離れた。

江上を数里進むと、「帥(すい)」の字の旗を立てた船を先頭に、百艇ばかりの船が迫ってきた。
周瑜(しゅうゆ)が追って来たのである。
諸葛亮は船を岸に寄せて、そこから陸地にあがり、逃げ走った。
呉の水軍も、陸地にあがり、馬で追った。

黄州の境まできたころ、突如、鼓の音が響き、山の陰から、関羽が現れ、八十二斤の青龍刀が周瑜に迫った。
黄忠(こうちゅう)と魏延(ぎえん)も現れ、呉の兵を蹴散らした。
周瑜は上陸したところまで戻ると、船に飛び乗り、逃げた。
周瑜は歯を噛み鳴らして恨み、真っ赤な血を吐いて船底へ倒れた。
船は柴桑(さいそう)まで帰った。

孫権(そんけん)のもとに、病中の周瑜から「荊州を討ち懲(こ)らし給え」という書が届いた。
重臣張昭(ちょうしょう)は軍議を開こうとした孫権を諫めた。
張昭はこのようなことを言った。
呉が劉備(りゅうび)を攻めれば、曹操(そうそう)は時機到来と全軍をあげて攻めてくる。
劉備と曹操が同盟を結ばぬように、朝廷へ表をささげて、劉備を荊州の太守に封じるのがよい。
その後、間諜を用いて、曹操と劉備との抗争を誘い、時機を見て荊州を奪い取ればよい。
間諜には誰がよいかと孫権はたずねると、張昭は華欽(かきん)を推薦した。
孫権は華欽(かきん)を呼んだ。

関連記事

次の章「文武競春(ぶんぶきょうしゅん)」へ進む

前の章「凛々細腰の剣(りんりんさいようのけん)」へ進む

トップページへ進む