珠(たま) 望蜀の巻

内容

漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)が大兵をあげて攻めて来た、という知らせが、蜀(しょく)国境の葭萌関(かぼうかん)から届いた。

劉璋(りゅうしょう)はそのことを劉備(りゅうび)に伝えて協力を求めると、直ちに兵を率いて劉備は国境へ向かった。
劉璋は成都へ戻った。

蜀国境での戦乱は、呉(ご)の孫権(そんけん)の耳にも入った。
孫権は呉の重臣を集め協議の結果、劉備のいない荊州を突けば荊州を得ることができる、と決まりかけていた。
「荊州(けいしゅう)にはわが娘がいる。玄徳(げんとく 劉備)はわが婿(むこ)ではないか」孫権の母呉夫人があらわれて皆を叱った。
孫権は沈黙し、評議の結論は出ずに終わった。

孫権は一室にこもり、爪をかんでいた。そこに張昭(ちょうしょう)があらわれて孫権に献策した。
「母公は妹君に対する情にひかれているだけです。母公を病篤とし、密書を送って呉に帰るようにとうながせばよいのです。その折、劉備の子阿斗(あと)も連れて帰れば、荊州を返せと迫れます」
周善(しゅうぜん)は孫権から密書を預かり、夜のうちに揚子江を出帆した。率いる五百の兵をみな商人に偽装させた。

荊州に着くと、伝手(つて)を頼りに、多くの賄賂をつかった結果、劉備の夫人に会うことができた。
劉備夫人は五歳の阿斗を連れて、誰にも告げずに車の中に隠れた。
車は城中を忍び出て、沙頭鎮(さとうちん)の埠頭(ふとう)に着き、船に乗り換えて岸を離れた。

「その船待てっ」趙雲(ちょううん)は船を追いながら、岸に沿って馬を飛ばしていた。
船は趙雲を無視して進んで行った。

一漁村で一小舟に飛び乗った趙雲は、劉備夫人の乗る呉の船の先に廻った。
小舟が呉の船の横へ勢いよくぶつかった瞬間、趙雲は呉の船へ乗り込んだ。船屋形の内へ入り、劉備夫人の膝から阿斗(あと)を取り返し、自分の腕に抱えた。小舟に戻ろうとしたが、流されており、趙雲は行き場をなくした。
趙雲は、自身がいる船に十数艇の早船が向かってくるのが見えた。鼓の音が聞こえ、趙雲はさいごの肚をきめた。
しかし早船の中から、張飛(ちょうひ)の声がした。張飛も呉の船を追って来たのであった。

荊州に帰るように、と張飛は劉備夫人に言うと、劉備夫人はわななき、母公危篤のため荊州を出たのであり、戻るのならば長江へ身を投げる、と言った。
張飛と趙雲は、劉備夫人を船に残すことにし、阿斗を連れて小舟に乗り移り、荊州へ帰った。

諸葛亮は張飛と趙雲の働きを褒め、蜀の葭萌関(かぼうかん)にいる劉備には早馬をたてて報告した。

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