野に真人あり(やにしんじんあり) 孔明の巻

内容

建安(けんあん)九年七月。曹操軍は冀州(きしゅう)の本城を占拠した。

ある日。馬に乗った曹操配下の許褚(きょちょ)は、東門から入ろうとした。
「おれの姿を見たら礼儀ぐらいしたらどうだ」許攸(きょゆう)は許褚の前に立った。
許褚は許攸を斬って、曹操のもとへ向かい、報告した。
曹操は七日間の謹慎を命じた。

その後の袁紹の息子たちの行方
・長男袁譚(えんたん)は兵力を集め、中山(ちゅうざん)にいた三男袁尚(えんしょう)を攻めて、これを奪った。
・三男袁尚は中山から幽州(ゆうしゅう)へ逃げた。
・二男袁煕(えんき)は幽州におり、逃げて来た袁尚と合流した。

袁譚のもとに曹操からの招きが届いたが、出向かずにいた。
曹操は断交の書を袁譚に送り、大軍を向けた。
袁譚は中山も平原(へいげん)も捨て、劉表(りゅうひょう)へ助けを求める使者を送った。

劉表は劉備に意見を求めた。
「見て見ぬ振りをしておいでなさい」劉備は言った。

劉表から救援を拒否された袁譚は、南皮(なんひ)へ逃げていった。

建安十年正月。曹操軍は氷河雪原を越えて南皮に迫った。
袁譚は南皮城を固く守ったが、曹操軍の昼夜の攻撃に心身ともに疲れたため、辛評(しんひょう)を使いとし、降伏を申し出た。

「戦うしかありません」曹操との会談を終え、戻って来た辛評(しんひょう)はありのままを袁譚に伝えた。
「そちの弟(辛毘)は曹操の身内だから、密約でもむすんだのであろう」袁譚は言った。
「心外なおことばを」辛評は意識を失い、息絶えた。

袁譚は郭図(かくと)に意見を求めた。
「全力で戦えば、曹操軍に勝てないわけがない」
袁譚は城を開き、曹操軍へ総攻撃を開始した。

曹操軍の曹洪(そうこう)は袁譚を斬り、曹操軍の楽進(がくしん)は郭図を矢で射て、南皮城は落ちた。

曹操は、楽進と李典(りてん)らに并州(へいしゅう)にいる高幹(こうかん)を攻めるよう命じ、自身は幽州(ゆうしゅう)にいる袁煕(えんき)と袁尚(えんしょう)のふたりを攻める準備にとりかかった。

曹操軍が幽州へ来ると知ると、袁尚は遼西(りょうせい)へ逃げ、州の別駕(べつが)の韓珩(かんこう)一族は城を開いて、曹操に降伏した。

曹操は、并州(へいしゅう)を攻める楽進と李典の加勢に向かった。

袁紹の甥(おい)高幹は、并州の壺関(こかん)を死守していた。
旧友の呂曠(りょこう)と呂翔(りょしょう)のふたりが壺関を訪れた。
「曹操は遠征疲れで、今夜攻めれば必ず勝てる」ふたりは言った。
高幹はふたりを信用し、その策にのった。
壺関の城は陥落し、高幹は胡(えびす)の左賢王(さけんおう)を頼りに逃げ向かったが、途中部下の者に斬られた。

関連記事

次の章「遼西・遼東(りょうせい・りょうとう)」へ」進む

前の章「邯鄲(かんたん)」へ進む

トップページへ進む