内容
孫高(そんこう)と傅嬰(ふえい)の二人は、戴員(たいいん)の邸を襲い、首を斬って、孫翊(そんよく)の夫人である徐氏(じょし)へ献じた。
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孫翊が斬られたことを知った呉主孫権はすぐに兵を率いて丹陽(たんよう)に向かい、この騒動にかかわった者の家族らも処罰した。そして孫高(そんこう)と傅嬰(ふえい)を牙門督兵(がもんとくへい)に任じ、徐氏を郷里の家へ帰した。
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建安(けんあん)十二年十一月。大病にかかっていた孫権の母である呉(ご)夫人は、孫権をはじめ、張昭(ちょうしょう)、周瑜(しゅうゆ)などの重臣を呼んだ。
「江夏(こうか)の黄祖(こうそ)は、わが夫孫堅(そんけん)を滅ぼした敵ですから、仇を討たなければなりません」呉夫人は続けた。
「妹にはよい婿(むこ)をえらんで嫁がせてください」孫権に向かって言い終わると、呉夫人は息をひきとった。
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建安十三年。孫権は群臣を集め、黄祖を討とう、と言った。
張昭(ちょうしょう)は反対し、周瑜(しゅうゆ)は賛成した。
そこへ呂蒙(りょもう)がやってきて、言った。
「黄祖の手下である甘寧(かんねい)が数百人を率いて亡命してきました」
孫権は甘寧をすぐに呼び寄せるよう命じた。
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数日後。「黄祖を破るにはどうしたらいいか」孫権は尋ね、甘寧は答えた。
孫権は周瑜を大都督に任じ、呉軍十万は長江をさかのぼり江夏(こうか)へ向かった。
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呉軍が迫っていることを知った黄祖は、兵船を出して防衛準備を整えた。
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黄祖と呉軍との兵船は江上でぶつかった。
呉軍は上陸した。
呉軍の潘璋(はんしょう)は黄祖配下の蘇飛(そひ)を捕らえ、孫権に献じた。
蘇飛は孫権の父孫堅(そんけん)の命を奪った者だったので、檻車(かんしゃ)へほうりこまれた。
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