内容
呉(ご)軍に対して連戦連勝の蜀(しょく)軍は、巫峡(ふきょう)・建平(けんぺい)・夷陵(いりょう)まで攻め進む。
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章武(しょうぶ)二年正月の朝を迎え、劉備(りゅうび)は賀春の酒を近臣に与える。
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劉備は少し酒に酔ったのか、近臣たちに「自身も老いたが、多くの諸大将も年老いた。しかし関興(かんこう)と張苞(ちょうほう)の若いふたりが活躍し、心強く思う」と言った。
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その日の午後、老将黄忠(こうちゅう)は十騎ばかりを連れて、夷陵(いりょう)の陣地を進んでいた。
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馮習(ふうしゅう)と張南(ちょうなん)が黄忠を見かけて、声をかける。
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黄忠は「老齢でも呉軍に一泡吹かせて、帝に安心してもらいたい」といい、呉軍の陣へ向かって行った。
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張南と馮習は黄忠を見捨てるわけにもいかず、黄忠を追いかける。
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黄忠が呉軍へ向かったことを知った劉備は、今朝の発言を悔やみ、黄忠を救うようにと関興・張苞に命じる。
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呉の潘璋(はんしょう)の陣中へ、黄忠は入って行く。黄忠とわずか十騎の一群なので、怪しまれなかった。
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「老骨黄忠なり」と名乗り、黄忠は潘璋へ討ちに出る。
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異変に気づいた呉兵は、潘璋のもとへ向かう。
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そこへ張南が黄忠を助けに来た。
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少し遅れて関興と張苞も駆けつけ、潘璋は逃がしたが、蜀軍は勝利をおさめる。
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張苞と関興が黄忠に引き揚げをうながすと、潘璋を討つまではと動かない。
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次の日、黄忠は呉軍へ向かう。
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呉軍も今回は備えをしており、黄忠を地の利の悪い山間へ追い込み、四方から石を落として矢を放つ。
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黄忠は数本の矢を身に受け、馬は石にあたって倒れる。
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山間に黄忠が追い込まれていることを知った関興と張苞は、助けに急ぐ。
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黄忠を取り囲んでいた呉兵は、関興らの部隊を見ると、慌てて逃げ去る。
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蜀の陣中に運ばれた黄忠は看護されたが、おびただしい出血と老衰のため、劉備が見守る中、七十五歳の生涯を終える。
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蜀軍は呉軍を破りながら進んで行く。
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呉の水軍を統率していた甘寧(かんねい)は、陸上軍の退却とともに陸に移り、馬に乗って退却。しかし、待ち伏せしていた蜀軍の南蛮部隊の襲撃にあって命を落とす。
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二月になり、猇亭(こてい)方面で、蜀と呉の激戦が繰り返された。
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その日の戦いは終わったが、夜になっても関興だけが帰ってこない。
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劉備は関興を探すよう命じる。
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