あらすじ
一
劉備は三か所の城を一挙に得た。荊州・襄陽・南郡である。
諸葛亮のすすめにより、幕賓の伊籍を向かわせ、襄陽宜城の人である馬良と、その弟の馬謖を呼び寄せた。
劉備は馬良に、この先の計を尋ねた。
「やはり劉琦君をお立てになり、ご病体ですから、この荊州の城に置かれて、荊州の刺史に封じておあげなさるのがよいでしょう。人心はみな、喜ぶことでしょう。それを強みに南の四郡を獲ればよいかと思います」と、馬良は答え、「南の四郡は、湘江の西、零陵から手をつけ、桂陽、武陵、長沙へと進攻するのがよいでしょう」と続けた。
建安十三年の冬、劉備は一万五千の兵を率いて、南四郡へ向かった。
この時、関羽は荊州の守りを命じられた。
二
零陵の太守劉度の嫡子劉延は、重ささ六十斤の大まさかりが武器の邢道栄を先陣に立て、一万騎とともに城外三十里に陣取った。
劉備軍と邢道栄の部隊が対峙したとき、四輪車に乗った諸葛亮が邢道栄の前にあらわれ、挑発した。
邢道栄は大まさかりを頭上に振りかぶり、諸葛亮へ向かったが、四輪車は無数の刀と槍で守られており、大勢の力者が四輪車を押して、柵門の中へ駈け入った。
邢道栄は柵門もこえて、四輪車を捜した。
その時、山の中腹より一部隊が動き出し、一丈八尺の大矛をかかげる張飛が邢道栄に襲いかかってきた。
「かなわん」と、邢道栄が逃げだすと、その先には趙雲が道を立ちふさいでいた。
三
邢道栄は馬を降りて、降参した。
劉備は邢道栄を斬れと命じたが、諸葛亮はそれを止めた。
諸葛亮は邢道栄に告げた。「劉延を生け捕ってくれば、重く用いてやる」
「とても簡単なこと」と、邢道栄は言い、「夜を待って、劉延の陣を攻めてください。それがしが内応して劉延を捕らえられれば、父の太守劉度も降伏します」
諸葛亮は劉備の反対を押し切り、邢道栄を解放した。
味方の陣へ逃げ帰った邢道栄は、劉延の前へ出て、今夜、劉備が攻めてくることを詳しく説明し、それを聞いた劉延は策を練った。
夜も二更の頃になると、一団の軍勢が劉延の陣を襲い、陣屋へ火をかけた。
劉延と邢道栄の兵は、あらぬ方角から二手に分かれて、軍勢を囲んだため、軍勢は隊を崩して逃げた。
劉延と邢道栄は追いかけ、その距離は十里に及んだ。劉延は勝ち戦に満足したのか、邢道栄とともに、陣に戻ることにした。
その帰り道、張飛が現れ、劉延と邢道栄を襲った。
自陣へ逃げこもうとした劉延と邢道栄の前に、今度は、趙雲が現れた。
趙雲は邢道栄を槍で刺し、劉延を生け捕った。
夜が明ける頃、四輪車に乗った諸葛亮の前に、劉延の父劉度が進み出て、降伏した。
四
劉備と諸葛亮は零陵へ入城した。劉度はそのまま郡守とし、子の劉延は軍に加えた。
劉備は、つぎの目的地である桂陽へ進んだ。
桂陽攻めの先陣を求めると、趙雲が名乗り出て、そのあとすぐに張飛も名乗り出た。
諸葛亮が劉備に「先に名乗り出たほうに命ぜられては」と言うと、張飛が駄々をこねたので、くじで決めることにした。趙雲が「先」、張飛が「後」を引いた。
張飛は不満を口にしていたので、劉備が叱った。
趙雲は兵三千を率い、桂陽の城へ向かった。
桂陽の城には、太守趙範に、鮑隆と陳応の二将がいた。
陳応は四千騎を率い、城外に陣を敷いた。
五
陳応は飛又という二股の大鎌槍のようなものを武器にするが、趙雲に生け捕られた。
「相手を見て戦え」と、趙雲は告げ、陳応を解放した。
陳応が城へ戻ると、太守趙範は陳応を城外へ追い出し、趙雲に降伏した。
趙雲は趙範を酒でもてなした。
趙範は喜び、「将軍とは同じ趙氏です。きっと先祖は同じに違いありません」と、兄弟の盃を乞い、四か月ほど趙雲の方が早く生まれていたため、趙雲を兄とした。
つぎの日、趙雲は部下五十余騎を率い、城内へ入った。
趙範は趙雲を迎え、招宴の席へ導いた。趙雲は大いに酔った。
「席をかえましょう」と、趙範は後堂へ場所を移した。
「もう帰る」と趙雲が言うと、絹をまとった美人が入ってきたので、「こちらはどなたですか」と、趙雲は尋ねた。
六
「私の兄嫁です」と、趙範は紹介した。
趙範は、その美人へ向かって、お酌をせいとか、そこの隣へ座れとかいうので、趙雲は「無用、無用」と言うと、その美人は立ち去ってしまった。
趙雲は趙範に「兄嫁ともあるお方を、客席へ出されたのか」と、とがめた。
趙範は言った。「てまえの兄に先立たれ、三年になります。婿をとったらどうだと勧めるのですが、兄嫁には三つの希望があり、将軍がその三つの希望にぴったりなのです。どうか将軍の妻にしていただけないでしょうか」
趙雲は眼を怒らして、趙範の顔を殴った。「兄嫁をわれの妻にすすめるとは、人倫の道に反する」そう言って、趙雲は趙範を踏みつけて、出ていった。
趙範は陳応と鮑隆を呼び、趙雲の首を獲ることにした。
陳応と鮑隆は美酒財宝を持って趙雲の陣所を訪れ、主人趙範の無礼を詫びた。
趙雲は「大いに酔いな直そう」と、二人に酒をすすめた。
七
陳応と鮑隆は計画どおりだと、すっかり油断してしまい、泥のように酔ってしまった。
趙雲は、頃をはかって、陳応と鮑隆の首を斬り落とした。
趙雲は、陳応と鮑隆の部下五百にも、酒と引き出物を与え、「私の手勢について働けばよし、さもなくば、二人のようになるぞ」と、陳応と鮑隆の首を見せた。
五百の部下は趙雲の手勢に加わった。
その日の夜のうちに、五百の兵を先頭に立たせ、後ろから千余騎の本軍を率い、趙雲は桂陽の城へ向かった。
趙範は、陳応と鮑隆が帰ってきたと思ったのか、門を開けて「首尾はどうだった」と、五百の兵に尋ねた。
その時、後ろから趙雲の部隊がなだれ込んできた。
趙雲は趙範を生け捕りにし、桂陽の城を占領した。
数日が経ち、劉備は桂陽の城に入り、捕らえられていた趙範が、劉備と諸葛亮の前に出た。
趙範は言った。「てまえの兄嫁を子龍将軍に献じたところ、将軍の怒りにふれ、このように捕らえられました。なぜだかわかりません」
諸葛亮は趙雲に理由を問うた。
「それがしも美人は嫌いではありません。ただ、わが君が、この荊州を領せられて、まだ日が浅いです。それがしがおごりを示し、兄嫁を妻にすれば、人民の心は離れ、わが君の大業も挫折するかもしれません。ゆえに、断ったのです」
劉備は「この城も占領したのだから、その美人を妻としても誰も非難しないだろう」と言うと、「それがしの武名が天下に立たないようなことがあってはならんのです」と、趙雲は答えた。
劉備も諸葛亮も、趙雲こそが典型的な武人であると感じたのか、黙って深くうなづいていた。