内容
夜靄(よもや)は深くたれこめていた。
二十余艘の兵船はおのおの綱でつなぎあい、北方へ進んだ。このとき、船に乗っていた魯粛(ろしゅく)はこの船団の目的と諸葛亮(しょかつりょう)の考えがわからず、魯粛を人質にとり、夏口(かこう)に向かっているのではと不安だったと思われる。
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曹操(そうそう)は江岸の警備に厳令を出していた。陣営のかがり火すらかすかにしか見えないからだ。
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四更に近い頃。雄叫びが聞こえた。呉(ご)の船団が曹操軍の水寨へ迫っていた。
曹操は、徐晃(じょこう)と張遼(ちょうりょう)に命じ、三千人の弩弓隊(どきゅうたい)を三団に作らせ、呉の兵船に向け一斉に射させた。
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夜が明け、船体が見えないほどの敵の矢を受けた二十余艘の呉の兵船は、下江していた。
諸葛亮は魯粛に「工匠を集めても十日で十万の矢を作るのはむずかしいでしょう。周瑜(しゅうゆ)殿がわざと工匠を妨げるからです。周瑜殿の目的は、諸葛亮を害することですから」と言った。
魯粛は夜靄について尋ねた。偶然なのかどうか。
「天文に通じ、地理に詳しければ、予測のつくことです」と諸葛亮は言った。
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二十余艘の兵船は呉の北岸に帰り着いた。
十万の矢は山となって積み上げられた。
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魯粛は一部始終を周瑜に話した。周瑜は頭を垂れて聞いていた。このとき周瑜は諸葛亮に負けを認めたと思われる。
周瑜は魯粛を走らせ、諸葛亮を迎えにやった。
諸葛亮が見えたと聞くと、出迎えて、いままでの非礼を詫びた。そして席をあらため、酒宴に移った。
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周瑜は曹操軍を打ち破る手段を諸葛亮に乞うた。
諸葛亮は「二人しておのおの手のひらに策を書いて見せてみましょう」と言った。
「では」
お互いの手のひらには、ともに「火」の字が書かれていた。
この策は互いに秘密と誓い、別れた。
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