内容
曹操(そうそう)の敵中作敵の計は成功した。
馬超(ばちょう)は渭水(いすい)の仮橋まで逃げのびてきた。つき従う兵はわずか百騎にも及ばなかった。
八旗のひとりである李湛(りたん)が、手勢を率いて馬超のもとへ駆けてきた。
「味方が来た」馬超は思ったが、「討ち洩らすな」と李湛自身が真っ先に、馬超へ討ってかかった。
「貴様も謀反人の片割れか」馬超は激怒してぶつかると、李湛は、その勢いに恐れて、馬をかえしかけた。
その時、一方から、曹操の部下于禁(うきん)の部隊が迫り、于禁は馬超めがけて矢を放った。
弦音(つるおと)とともに、馬超は馬の背に屈みこんだため、矢は李湛の背にあたり、馬から落ちた。
馬超は于禁の部隊へ攻め込み、敵を蹴ちらした。そして、渭水の橋の上に立って、味方の集合を待った。
夜が明けてきたが、馬超のもとに集まってくるのは敵兵のみだった。
馬超は何度も敵の大軍へ突撃を試みたが、傷を増やすだけで、橋上に引き返すしかなかった。
左右の部下は、ばたばたと倒れていく。
馬超は覚悟した。残る将士たちを励まし、最後の猛突撃を試みた。
馬超の将士四、五十人も覚悟を決め、突撃した。
曹操軍のなかを、馬超は斬り進んだ。しかし、馬超に従う将士の姿は消え、馬超一騎のみとなっていた。
馬超はひとりで敵と戦い、限界を越えながらも自分を叱咤し、奮戦していた。
その時、西北の方から、馬岱(ばたい)、龐徳(ほうとく)の部隊が駆けてきて、曹操軍の側面を衝いて馳けちらした。
龐徳は馬超の身を鞍わきに抱きかかえると、遠く落ちて行った。
馬超が約千騎とともに、落ちて行ったことを知った曹操は、「日夜を問わず、馬超を追いかけ、殊勲を競え」と号令した。
曹操軍の兵たちは、馬超追撃を争った。
馬超は、曹操軍の追撃を受けながら、敵に当っては逃げを繰り返した。味方は三十騎まで減り、西涼へ逃げ落ちた。
龐徳と馬岱は、途中、馬超と別れ別れになってしまい、隴西(ろうせい)地方へ敗走していたため、曹操は追撃を加えていた。
曹操が長安(ちょうあん)郊外まで来ると、早馬が荀彧(じゅんいく)の一書を届けた。
「南方の形勢に変あり。少しでも早く、兵を収めて、許都に帰られませ」とある。
曹操は、全軍引き揚げの軍令を下した。
左の手を斬り落された韓遂(かんすい)は西涼侯(せいりょうこう)に、彼と共に降参した楊秋(ようしゅう)、侯選(こうせん)なども列侯に任じられ、「渭水の口を守れ」と、曹操は命じた。
元、涼州の参軍楊阜(ようふ)の提案により、曹操は楊阜(ようふ)と韋康(いこう)に冀城を守らせた。
そして、曹操は夏侯淵(かこうえん)を呼び、「旧都長安には、韓遂をとどめておくが、汝は予の腹心、予になり代って長安の境界をよく守れよ」と命じた。
夏侯淵は張既(ちょうき)を求めたので、曹操は張既も残らせ、夏侯淵とともに守らせた。
都へ帰るという前夜、曹操は諸大将と一緒に酒を飲む場を設けた。
その席上で、諸大将は、今回の西涼軍との戦いにおける曹操の考えや作戦について尋ね、曹操は、講義をしているように、懇切に解説した。
都に帰った曹操軍を献帝(けんてい)は出迎えた。曹操を恐れてのことだ。そして、曹操に「漢(かん)の相国(しょうこく)蕭何(しょうか)の如くせよ」と言った。つまり、履(くつ)のまま殿上に昇り、剣を佩(は)いて朝廷に出入りすることを許されたのである。
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