一掴三城(いっかくさんじょう) 望蜀の巻

内容

周瑜(しゅうゆ)は兵三千騎を率いて、油江口(ゆこうこう)の岸へ上陸。

酒宴の席で、周瑜が南郡(なんぐん)を奪えなければ、劉備(りゅうび)が奪うことに決まる。

周瑜は兵五千で魏軍曹仁(そうじん)が守る南郡の城を攻める。

南郡の城を守る曹仁は、曹操の命にしたがい、守りに徹する。

城を出て戦うことを主張する牛金(ぎゅうきん)は曹仁の許しを得て、兵五百を率いて呉軍を奇襲するが、危機に陥る。

曹仁は兵千余を率いて、牛金を救いに城外へ。

呉軍徐盛(じょせい)、蒋欽(しょうきん)の部隊を追い払った曹仁は、牛金とその兵を救って戻る。

呉軍甘寧(かんねい)は夷陵(いりょう)城を攻める。

魏軍曹純(そうじゅん)と牛金は夷陵城の救援へ向かう。

曹純は外部から、夷陵城を守る曹洪(そうこう)と連絡をとり、計を企てる。

曹洪は甘寧の攻めに応戦した後、城を捨てて逃げる。

甘寧の部隊は夷陵城を占拠。

曹純と牛金の部隊は夷陵城を包囲し、逃げていた曹洪も戻って加わる。

周瑜は、凌統(りょうとう)と兵一万をあとに残し、軍を夷陵方面へ動かす。

夷陵城にいる甘寧へ策を伝えるため、周瑜は周泰(しゅうたい)を送る。

次の日。周瑜の大軍は、曹洪、曹純、牛金を蹴散らしたあと、南郡城へ向う。

曹洪、曹純、牛金は曹仁が守る南郡の城に逃げ込む。

曹仁は、曹操が残した一巻を開く。

周瑜は南郡の城中へ突撃。

曹洪は呉軍韓当(かんとう)と、曹仁は呉軍周泰とぶつかった後、それぞれ逃げる。

周瑜は城門の中へ駆け込む。

門楼の上にいる魏軍陳矯(ちんきょう)の合図により、弩弓(いしゆみ)と石鉄砲が周瑜に降り注ぐ。

周瑜(しゅうゆ)は左肩に毒矢を受け、落馬。

牛金が周瑜に迫るが、呉軍丁奉(ていほう)と徐盛が守り、周瑜をかついで呉の陣中へ逃げ帰る。

呉の陣営は固く門を閉ざす。

曹仁は大軍を率い、呉の陣営前で挑発。

周瑜の耳に入り、自身が数百騎を率いて陣外へ出る。

曹仁と将士は周瑜を見つけ、悪口を吐く。

周瑜は顔を真っ赤にし、血を吐いて落馬。

曹仁は総攻撃を命じ、呉軍は周瑜を拾って陣営へ逃げる。

周瑜は、自身が命を落としたと噂を流すように指示。

次の日の夕方。曹仁の部下が呉兵を捕らえる。

呉兵は「昨夜、大都督周瑜は大熱を起こし、命を落とされた。呉に勝つ目がないため降参に来た」と言う。

その日の深夜。曹仁は呉の陣営を攻めるが、呉軍は待ち構えており大敗。

曹仁、曹純、曹洪らは南郡へ逃げるが、甘寧(かんねい)が道をさえぎっているため、襄陽(じょうよう)方面へ逃げる。

その日の夜。周瑜は程普をつれて南郡の城までくると、趙雲が占領している。

荊州の城は張飛、襄陽の城は関羽が占領していることを、周瑜は早馬で知る。

周瑜は激怒したため、傷口が破れ、倒れる。

魯粛は周瑜を見舞ったあと、劉備のもとへ向かう。

諸葛亮は魯粛を出迎え、荊州について議論し、「劉琦(りゅうき)が亡くなれば、荊州(けいしゅう)は呉へ還す」と決まる。

帰った魯粛は周瑜に報告しているところへ、呉主孫権(そんけん)から、荊州を捨てて柴桑(さいそう)まで軍を引き上げろ、との軍令が届く。

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