渭水を挟んで(いすいをはさんで) 望蜀の巻

内容

軍法を破った曹洪そうこうを斬ろうとした曹操そうそうだが、諸人の諫めにより斬罪は猶予した。

つぎの日。曹操本軍と西涼せいりょう軍は潼関どうかんの東方で激突した。
兵力は西涼軍の方が強く、曹操軍は散乱した。
馬超ばちょうらは曹操本軍へ入り、曹操を捜し、駆けまわった。
曹操はくれない戦袍ひたたれを着ていると西涼の兵が叫ぶと、曹操は戦袍を脱ぎ捨てた。
髯の長いのが曹操だと西涼の兵が叫ぶと、曹操は自分の剣で自分の髯を切って捨てた。
曹操は旗をとって顔を包み隠して逃げた。

曹操は味方の陣に戻り、河を隔てて岸一帯に逆茂木さかもぎを結いまわし、西涼軍とは一戦も交えなかった。
時は建安けんあん十六年八月も暮れかけていた頃であった。

数日後、潼関どうかんの馬超軍に約二万の兵が増強されたという知らせが曹操の元に入った。
曹操は、朱霊しゅれいと徐晃に四千の兵を与え、河の西を渡り、対岸の谷間にひそんで合図を待て、と命じ、自身は渭水いすいの北を渡る準備にとりかかった。

船筏ふないかだを作って曹操が渡河の準備をしている、という報告が西涼の陣営に入った。

曹操軍は渭水の北を渡りはじめた。軍の大半が河を渡り、残っているのは曹操と百余人となった。
そのとき、約二千の西涼軍がうしろから迫っている、と報告があった。

曹操軍が危機とみた渭南いなんの県令丁斐ていひは、南山なんざんの上から牧場の牛馬を解放して西涼軍の中へ放った。
西涼軍は牛馬の奪い合いになり、曹操軍には見向きもしなかった。
その間に、許褚きょちょは船を引き返し、曹操を背中へ負って舟の中へ乗り移り、北岸へ逃げた。

曹操は丁斐を呼び、褒美として典軍校尉てんぐんこういに任じた。
丁斐は感泣し、ここの地理に精通しているため、一計略を曹操に進言した。

一方、西涼軍に報告が入った。曹操軍は河を越えて西涼軍の背後を攻撃する態勢にあると。
韓遂かんすい龐徳ほうとくは千余騎を率いて、曹操の陣を奇襲するために向かった。

曹操は西涼軍が奇襲にくるとふんで、丁斐の策を用いて対策をとっており、実際の本陣はほかへ移していた。
西涼軍の奇襲は大惨敗に終わった。

壮気さかんな馬超は、今度は自ら曹操の野陣を夜襲した。
曹操は西涼軍の夜襲を予想しており、またしても西涼軍は敗退に終わった。

関連記事

次の章「火水木金土(かすいもくきんど)」へ進む

前の章「不倶戴天(ふぐたいてん)」へ進む

トップページへ進む