出来事
- 曹操本軍が渭水の北に陣を敷き、砦の建設を急ぐ
- 馬超軍が砦を破壊する
- 荀攸の提案により、地下城を建設する
- 豪雨のあとの翌朝、洪水が発生し、地下城を崩壊する
- 終南山の夢梅という翁が、水をかけて氷の城を作れば心配ないと告げ、立ち去る
- 許褚と馬超が戦うが勝負つかず
- 夏侯淵が馬超軍へ夜襲を仕掛けるが苦戦。曹操が救援へ向かう
- 馬超陣営の後方に曹操の軍が陣営を構築しているとの知らせが馬超に入る
- 馬超の使者楊秋が和睦の申し出のため曹操陣営へ向かう
- 賈詡が曹操に相談され、策を進言する
- 曹操が和睦の申し出を受け入れる
あらすじ
渭水(いすい)は浅く、浅瀬は歩いて渡ることもできる。曹操(そうそう)は渭水を挟み、北に野陣を敷き、西涼軍(せいりょうぐん)と対峙していたため、夜襲朝討ちの不安があった。
曹仁(そうじん)は築造奉行(ちくぞうぶぎょう)となって、仮城の工事を急いだ。
西涼の馬超(ばちょう)は、仮城の工事が八、九分までできあがると、河を渡り、油弾を投げて、仮城を焼いた。
智者荀攸(じゅんゆう)は曹操に進言する。「渭水の堤を利用して土塁を高く築き、壕(ほり)と土壁との地下城を築きましょう」
「なるほど。土の地下城では、焼討ちもできまい」曹操は人夫三万を加え、地を掘らせた。
工事は約一か月も続いたが、西涼軍からの攻撃はなかった。その間に、渭水の水は日ごとに減っていった。
ある日の夜、豪雨となり、次の日の朝、「洪水だっ」渭水の上流から激波が押し寄せてきた。西涼軍が半月も前から、堰(せき)を作って、河水を溜めていたものであった。
地下城は崩れ、跡形もなくなった。
九月に入り、北国のため、雪が降りだした。西涼軍は寒さに強く、潼関(どうかん)へも引き籠ることができる。しかし、曹操軍は、野陣のままでは、吹雪にさらされ続けることになる。
曹操と幕将が会議をしているところへ、終南山(しゅうなんざん)の隠居夢梅(むばい)と名乗る者が訪ねてきた。城塞の工事に失敗しているの見て、愚案を申し上げに来た、という。
夢梅が言うには「これから必ず北風が吹きましょう。小石まじりの河原土でも、水をかければ、一夜にして凍りつきます。いちど凍った堅さは、春までは解けません。氷の城ですから、火に焼かれることもなく、河水に流される心配もありません」そう告げ終わると、どこかへ立ち去った。
ある日、北風が吹き出した。日が暮れるとすぐに「夜明けまでに、土城を築け」と、曹操は命じた。
夜明け近くになり、土城はほぼ完成した。
「城へ水をかけろ」河水を汲んでは手渡しから手渡しに運び、水をかけた。
夜明けの光で輝く氷の城を、西涼軍は見つける。
西涼軍は河を渡ると、曹操が待っていた。
「馬超と一戦するの勇気があるか」馬超は言った。
「そこを動かず、一戦するの勇気があるのか」曹操の側にいる許褚(きょちょ)が返した。
「また、会おう」許褚の猛気に、馬超は馬を返し、西涼軍は退いた。
その日、許褚は馬超へ宛てて、決戦状を送った。
夜が明けるや、馬超は押し寄せ、許褚とぶつかった。
戦うこと百余合、勝負は果てない。
曹操は、退鉦(ひきがね)を打たせた。許褚に万一があっては、全軍の士気にかかわるとみたからだ。
これをきっかけに、龐徳(ほうとく)と馬岱(ばたい)の部隊が曹操軍を強襲した。
曹操軍は西涼軍に押されたため、氷城に戻り、固く守った。
馬超は軽兵数百騎を率い、氷城の前まで迫り、諸所を暴れ回って去った。
その様子を土楼の窓から眺めていた曹操は、「馬超が生きているかぎり、曹操の命は危険に晒されている」と言った。
それを聞いた夏侯淵(かこうえん)は、曹操が止めるのもきかず、部下千騎をひきいて西涼軍に討って出た。
しばらくして、夏侯淵苦戦との知らせが、曹操に届く。
曹操はすぐに救援に向かった。
馬超は曹操を見つけるや、追いかけまわした。
曹操は、氷の城塞へ逃げ戻った。しかし、その間に、曹操軍の徐晃(じょこう)と朱霊(しゅれい)の部隊が、渭水の西から渡っていた。
馬超は氷城の下まで迫り、罵っていた。
そこへ、後陣の韓遂(かんすい)より「後方に異状が見える」との急報があり、馬超は陣地へ帰った。
「昨夜、曹操軍の別動隊が我らの背後へまわり、陣地の構築を始めています」との情報が西涼軍に入った。
それを聞いた韓遂はひどく驚き、退路を断たれたことを悟る。そこで、馬超に、曹操との和睦を提案した。
数日の後、楊秋(ようしゅう)は和睦申し入れのため、曹操に会った。
楊秋を帰したあと、曹操は謀将(ぼうしょう)賈詡(かく)に相談した。
次の日、曹操からの返簡が馬超のもとへきた。色よい返事であった。
約束の日、曹操は諸大将を引き連れ、条約を結ぶために出向いた。