内容
周瑜(しゅうゆ)は「曹操(そうそう)が蔡瑁(さいぼう)と張允(ちょういん)を斬った」ことを知った。周瑜は自身の策が成功し、得意気になったと思われる。
周瑜は魯粛(ろしゅく)を諸葛亮(しょかつりょう)のもとへ向かわせ、このことについてどう考えているのかを探らせた。
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次の日。魯粛は諸葛亮の船住居を訪れた。
諸葛亮は、周瑜の策が成功したことも、魯粛がここへきた理由も知っていた。
諸葛亮は帰りがけの魯粛に、「孔明(こうめい)が今回の策を知っていたと周瑜殿へは言わないでいただきたい。周瑜殿がそのことを知ると、必ずこの孔明を害そうとなさるにちがいありません」と言った。
魯粛はうなずいた。
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魯粛は周瑜の顔を見ると、ありのままを伝えた。隠していられなかったと思われる。
周瑜は諸葛亮をますます恐れたと思われる。このまま生かしておくことは呉(ご)の不利になると。
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数日後。呉の陣営で軍議が開かれ、諸葛亮も出席した。
周瑜は諸葛亮に「水上の戦いでは何をいちばん多く備えておくべきでしょうか」と質問をした。
「弓に優るものはありません」
「ならば、十万本の矢をつくっていただきたい。工匠はいくらでもお使いになって」
「作りましょう」
「十日のうちにできますか」
「三日の間に作り上げましょう」
「ふざけておられるのではないでしょうな」と周瑜は念を押した。
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次の日の朝。魯粛は諸葛亮の船を訪ねた。
諸葛亮は魯粛に、士卒五、六百人と、船二十余艘の用意を依頼し、「決して周瑜都督にはご内密に」と言った。
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魯粛は周瑜へ諸葛亮が言ったことをそのまま報告した。
周瑜と魯粛は諸葛亮にやらせてみることにした。この時、諸葛亮の意図はわからなかったと思われる。
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二十艘の兵船には、諸葛亮の指図どおりに藁と青い布でおおわれ、各船に兵三十人が乗りこんで待機していた。
三日目の夜。魯粛は諸葛亮の様子を見に行った。
諸葛亮は魯粛の手をとって、用意された船の中へ入って行った。
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