上・中・下(じょう・ちゅう・げ) 図南の巻

内容

葭萌関(かぼうかん)で、漢中の張魯(ちょうろ)軍と蜀(しょく)を守る劉備(りゅうび)軍は対峙(たいじ)していた。
両軍はたがいに譲らず、幾月かが過ぎた。

曹操(そうそう)が呉へ攻め下った、という知らせをを受けた劉備は、軍師龐統(ほうとう)に今後の対応を問うた。
「蜀の劉璋(りゅうしょう)へ一書をお送りください。曹操が南下したため、呉(ご)の孫権(そんけん)が救いを求めている。呉と荊州(けいしゅう)は姻戚の義理がある。救いに駆けつけるため、精兵三、四万に兵粮十万石をいただきたい、と」龐統は言った。

劉備は使者に書を持たせて成都(せいと)へ向かわせた。
蜀の楊懐(ようかい)と高沛(こうはい)が守る涪水関(ふすいかん)を、使者は通らねばならない。
使者は劉備の書簡を見せ、通ることを求めると、楊懐と高沛は陰に隠れて劉備の書簡を読み、使者へ返した。
「成都までご案内申す」楊懐は兵を連れて、使者についてきた。

劉璋の前で、楊懐は劉備の頼みを受けてはいけないと反対した。
侍将(じしょう)の劉巴(りゅうは)も、そこに居合せた黄権(こうけん)も劉璋を諫めた。
劉璋は、老朽の兵ばかり四千人と穀物一万石と、廃物にひとしい武具馬具を車輛に積んで、劉備へ送った。

劉備は激怒した。龐統は劉備に上策、中策、下策の三つを献策し、劉備は中策を命じた。

日を経て、劉備の一書が成都の劉璋のもとへ届いた。荊州へ帰るので葭萌関(かぼうかん)の守りに誰かを差し向けてほしいという。
劉璋は悲しんだが、反劉備一派は喜んだ。

張松(ちょうしゅう)の立場は苦しくなり、劉備へ激励の文を書き始めた。
そこへ兄張粛(ちょうしゃく)が訪ねて来たので、あわてて手紙を袂(たもと)へ隠した。

ふたりで酒を飲みはじめ、張松は厠(かわや)へ立った。
張松が立ったあとには、手紙が落ちていた。
張粛はその手紙を読み、袂に入れると、急に帰ると言い出し、出て行った。

次の日。市街の辻で、張松とその一家の首斬りが行われた。

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