火水木金土(かすいもくきんど) 望蜀の巻

内容

曹操(そうそう)は渭水(いすい)を挟んで北の平野に陣を敷き、西涼(せいりょう)軍に対した。
曹仁(そうじん)は築造奉行に任じられ、沿岸三か所に仮城建築を急いだ。

西涼の馬超(ばちょう)は、その仮城建築が八・九分までできあがると、河の南北からわたって仮城に油弾を投げて焼き払った。

曹操は智者荀攸(じゅんゆう)の献策を認め、渭水の堤を利用して壕(ほり)と土壁との地下城を作ることにした。工事は一か月も続いた。

西涼軍は渭水上流に堰(せき)を作り、河水を溜めた。

豪雨が降ったその翌朝。西涼軍は渭水上流の堰(せき)を破った。
渭水の上流から激浪が押し寄せ、曹操軍の地下城は崩れて跡形もなくなった。

九月に入り、北国のため、雪が降っていた。
ここ数日、雪ばかりなので、曹操軍、西涼軍ともに睨み合うままだった。

曹操の陣営に、終南山(しゅうなんざん)の隠居夢梅(むばい)という翁が訪れ、一策を言い終わると、どこかへ立ち去った。
夢梅の教えどおりに、曹操は土城を作ることした。

西涼軍は対岸にある城を見て驚いた。一夜のうちに氷城ができていた。
馬超は大兵を率いて河を渡り、氷城へ向かった。
曹操は馬を進めて、馬超を待っていた。
馬超は曹操の側にいる許褚(きょちょ)の猛気を感じ、軍を退かせた。

その日、許褚は馬超に決戦状を送った。
馬超は激怒し、返書して、夜が白むや、氷城へ押し寄せた。

馬超と許褚は百回以上刃を合わせたが、勝負はつかなかった。
西涼軍の龐徳(ほうとく)と馬岱(ばたい)の部隊は、曹操軍へ強襲した。
曹操軍は氷城に戻り、閉じこもった。

夏侯淵(かこうえん)は、曹操が止めるのも聞かず、部下千騎をひきいて西涼軍に討って出た。

しばらくして、夏侯淵苦戦の知らせが来た。
曹操は救援に向かったが、西涼軍は強く、曹操は氷城へ逃げ込んだ。

その頃、渭水の西を渡った曹操軍の朱霊(しゅれい)と徐晃(じょこう)の部隊は、西涼軍の背後に回り、陣地の構築を始めていた。

そのことを伝令で知った馬超は、暁(あかつき)早く、軍を収めて、陣地へ帰った。

西涼軍の韓遂(かんすい)は、曹操との和睦を馬超に献言した。
数日の後、西涼軍の楊秋(ようしゅう)は一書をたずさえ、曹操の陣へ和睦の申し入れに向かった。

つぎの日。馬超のもとに、曹操から和睦を受け入れる旨の返簡がきた。

約束の日。曹操は諸大将を引き連れ、条約を結ぶために出向いた。

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