内容
荀攸(じゅんゆう)は主君曹操(そうそう)へ一策をすすめた。その策とは、曹操が首を斬った蔡瑁(さいぼう)の甥蔡和(さいか)と蔡仲(さいちゅう)を呉(ご)に潜ませるというものである。
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荀攸は蔡和と蔡仲をともなって曹操の前へ出た。
曹操は「叔父の汚名を返上するために、大功をたててみないか」と計画を話した。
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次の日。蔡和と蔡仲は部下の兵五百とともに船に乗り、呉へ向かった。
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周瑜の前に出た蔡和と蔡仲は涙を流しながら訴えた。
「よろしい」周瑜は二人を甘寧(かんねい)の配下に入れた。
魯粛(ろしゅく)は周瑜に「大丈夫ですか」と確かめた。
「蔡瑁は罪もなく命を奪われ、二人は恨まずにはおられまい。曹操のもとを離れて呉に来たことに疑う余地はないだろう」と周瑜は笑った。
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その夜。老将黄蓋(こうがい)は周瑜を訪ね、密談していた。
「呉から曹操の陣へ、偽りの降人を送りこむ必要があるが適当な人がいない」と周瑜はため息をつくと、黄蓋は名乗り出た。
周瑜と黄蓋は密談を続け、明け方に別れた。
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周瑜は諸人を集めた。その中には諸葛亮もいた。
「各兵船に三か月の兵糧を積みこんでおけ」周瑜は命じると、黄蓋が前に出て、周瑜の無策をなじった。
周瑜は激怒し、「斬れ」と命じたが、諸大将が仲裁に入ったため、百杖(じょう)の刑と謹慎を命じた。
刑を受け、昏絶した黄蓋は諸将に抱きかかえられ、陣中へ運ばれた。
杖を持った獄卒は黄蓋を左右から打ちすえ、百になったとき、黄蓋は昏絶してしまった。
諸葛亮は終始口を開かず、自分の船に帰った。
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魯粛は諸葛亮の船へ向かった。
船に腰かけている諸葛亮に魯粛は「周瑜都督を諫めずに黙っていたのは理由があってのことですか」と尋ねた。
「あれは陣中の争いを外に発して、曹操をあざむく計です。だから諫めませんでした。孔明(こうめい)がいま言ったことは周瑜殿には必ず黙っていてください」
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その夜。周瑜は魯粛に「諸葛亮は何と言っておるかね」と尋ねた。
「周瑜殿は情けないお仕打ちをされるといって、哀んでおりました」と魯粛は言った。
周瑜は諸葛亮をあざむけたことに笑みをもらし、魯粛に心中の秘を打ち明けた。
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