狂瀾(きょうらん) 赤壁の巻

内容

諸葛亮(しょかつりょう)は帳(とばり)の外から宴席の様子をうかがった。周瑜(しゅうゆ)と話をしている劉備(りゅうび)を見た。
劉備のうしろに剣を握った関羽(かんう)が立っているのを見た諸葛亮は、江岸にある自分の仮屋のほうへ立ち去った。

そばにいた魯粛(ろしゅく)に劉備は、諸葛亮を呼んでほしい、と言ってみた。
周瑜は、曹操を破ったのちに祝賀会でお会いになればいいのでは、と言って、話をそらした。
関羽は劉備のたもとをひいて、諸葛亮の話題をだしてはいけないと、目くばせした。
「そうですな。今日の御杯もこれくらいで。曹操を破ったときに、あらためて祝賀会にて」席を立つ機をつかんで、劉備は宴を出た。
劉備と関羽を酔わせて命を奪うという周瑜の計画は失敗した。

劉備は江岸まで急ぐと、諸葛亮が待っていた。
「来る十一月二十日、趙雲(ちょううん)に命じて、早船を出し、江の南岸で私を待つようにお備えください。必ず東南の風が吹き起こる日に帰ります」諸葛亮は劉備に言った。
劉備を船へせきたてると、諸葛亮は呉の陣営へ戻った。

数日後。曹操(そうそう)からの書簡を携えた使者が江岸にきた。
周瑜はその書簡を読んで、激怒した。周瑜を臣下扱いにした内容だったからである。
曹操の使者の首を打ち落とした周瑜は、その首を使いの従者に持たせ、追い返した。
周瑜はただちに戦闘準備の号令をだし、曹操軍を待ち構えた。

建安(けんあん)十三年十一月午前二時ごろ。魏(ぎ)の大船団は南下を開始した。
この日の夜は濃霧のため、視野がさえぎられていた。
突如として、魏の兵船が押太鼓を打ちながら、呉船の陣列に割って入った。
呉の兵船は、魏の兵船を取り囲み、前後左右から鉄矢、石弾を放った。
魏軍は大敗に終わった。

曹操は大敗したことを聞き、水軍大都督(だいととく)蔡瑁(さいぼう)と副都督張允(ちょういん)を呼んだ。

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