内容
前線に向かうため、諸葛亮(しょかつりょう)は、魯粛(ろしゅく)、程普(ていふ)と同舟で三江をさかのぼった。
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呉(ご)軍の本陣で、周瑜(しゅうゆ)は諸葛亮に兵千余騎を貸すので聚鉄山(じゅてつざん)にある曹操(そうそう)の糧倉を焼き払ってほしいと頼み、諸葛亮は承知した。
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魯粛(ろしゅく)は、仮屋へ戻った諸葛亮を訪ねて、問うた。「今夜の出陣は成功しますか、それとも、やむなき命令と思われていますか」
「私はすべての戦い方を極めています。負けると思って出陣などしません」諸葛亮は続けた。「周瑜殿は、船戦では優れているが、陸戦では河童も同然です。諸葛亮を兵千騎で夜襲させることが、陸戦に弱い証拠です」
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魯粛は諸葛亮が言ったすべてのことを周瑜に伝えた。
周瑜は、諸葛亮の出陣を止めさせ、自ら曹操の糧倉を焼き払いに行くと言い、兵五千に夜襲の準備を命じた。
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魯粛は周瑜が言ったすべてのことを諸葛亮に伝えた。
「出陣すれば、曹操の餌食となります。出陣すべきではありません」諸葛亮は言った。
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魯粛は諸葛亮が言ったすべてのことを周瑜に伝えた。
周瑜は、自らの出陣をとりやめた。
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一方、劉備(りゅうび)は、劉琦(りゅうき)の手勢に江夏(こうか)を守らせ、自身は夏口(かこう)の城へ移っていた。
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偵察に出していた一艘が戻ってきて、劉備に報告した。呉は魏軍に対して開戦しました、という。
諸葛亮からの知らせがないため、陣見舞いとして、糜竺(びじく)を呉陣へ向かわせた。
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周瑜と麋竺は会談を三回したが、周瑜は諸葛亮の話題を避けていた。
三日目の朝。麋竺は暇を告げると、大策を議論するため劉備殿にもお越し願いたい、と周瑜は言った。
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劉備は、関羽(かんう)と従者二十名を連れて、呉の中軍へ向かった。
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周瑜は劉備を迎い入れ、酒宴を開いた。
諸葛亮は何も知らなかったっが、劉備が来ていることを江岸の兵から聞き、周瑜の本陣へ急いだ。そして、帳外にたたずみ、主客の席をうかがった。
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