蜀人・張松(しょくじん・ちょうしょう) 望蜀の巻

内容

近年、漢中(かんちゅう)では一種の道教が広まっていた。張魯(ちょうろ)という者が教主である。

ある日。漢中の一百姓が、自分の畑から、黄金の玉璽(ぎょくじ)を掘り出し、庁へ届け出た。
張魯の群臣は、天の意思であるとして、張魯に王位につくことを勧めた。
閻圃(えんほ)という者は、まずは蜀四十一州を併合することを進言した。
張魯は入蜀の準備を命じた。

一方、蜀(しょく)の主劉璋(りゅうしょう)は、漢中の張魯が攻めてくると知ると、評議を開いた。
張松(ちょうしょう)の献策を認め、劉璋は張松を都へ使いに出し、曹操(そうそう)に助けを求めた。
西蜀(せいしょく)四十一州の地図を携えた張松は、曹操への礼物とともに都へ向かった。

都についた張松は、相府(しょうふ)に入国の届を出し、拝謁簿(はいえつぼ)に姓氏官職などを書いて、曹操からの招きを待った。
しかし幾日たっても、相府からの招きはなかった。
旅亭の館主が、賄賂を吏員(りいん)に贈らないからだ、と言ったので、そのとおりにしたら、五日目ごろに曹操に目通りすることができた。

曹操は張松に問うた。
「蜀はなぜ毎年の貢ぎ物を献じないか」
「途中盗賊の害が多く、貢ぎ物を送る方法がありません」
「予は天下を治めておる。交通の要路に野盗乱賊が出没するはずがないだろう」
「漢中に張魯(ちょうろ)、荊州に劉備、江南に孫権あり。決してまだ天下は平定していません」
張松の、曹操に逆らうような物言いに、曹操は苛立ちを覚え、座を立ち、後閣へ入ってしまった。
その場にいた楊修(ようしゅう)は曹操の大才を知らしめるため、張松を閣の書院へ連れて行った。

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