あらすじ
一
[ 周瑜の生い立ちが書かれているが、ここでは省略する ]
孫権のいる柴桑城(さいそうじょう)からほど遠くない鄱陽湖(はようこ)に周瑜はいた。そこに孫権からの早馬がきた。
柴桑城(さいそうじょう)に来るようにというのだ。
そこに、魯粛が訪ねてきて、いままでの経緯を伝えた。
周瑜は、柴桑城に出向く前に、諸葛亮に会うと言った。
その日の午後、張昭(ちょうしょう)・顧雍(こよう)・張紘(ちょうこう)・歩隲(ほしつ)などの開戦反対派が周瑜を訪れた。
二
周瑜は開戦反対派の意見を聞き、自分も同じ考えであることを伝えた。
しばらくすると、黄蓋(こうがい)・韓当(かんとう)・程普(ていふ)らが周瑜を訪れ、開戦の覚悟を告げた。
周瑜は曹操に降伏する気はないと告げた。
夕方になると、闞沢(かんたく)・呂範(りょはん)・朱治(しゅち)・諸葛瑾(しょかつきん)らが周瑜を訪れた。彼らは中立派であった。
夜になると、呂蒙(りょもう)・甘寧(かんねい)らが周瑜を訪れた。客の来訪はやまなかった
三
夜が更けると、魯粛が諸葛亮を連れて、周瑜を訪れた。
魯粛は周瑜の考えを尋ねた。
周瑜は曹操へ降伏する考えであることを告げた。
周瑜と魯粛は、非戦か開戦かで言い争った。
その様子を見ていた諸葛亮は笑いこけていた。
四
諸葛亮は、呉の諸大将は自身に危険が及ばないことだけを考えているなかで、魯粛ひとりが開戦を訴えていることがおかしいと言った。
続けて、呉の名誉も存立も失わない策がひとつあると言った。
五
諸葛亮は言った。「喬家(きょうけ)の二名花、つまり、姉の大喬(たいきょう)、妹の小喬を曹操へ送ることです。たちまち曹操は呉を攻撃することなく、北方へ帰りましょう」
周瑜の髪の毛はそそり立ち、顔はこわばっていた。
六
周瑜の態度に気付いた諸葛亮が尋ねると、大喬(たいきょう)は先君孫策の妻、小喬は周瑜の妻だと言った。
諸葛亮は打ち震えて、平謝りに詫びた。
周瑜は開戦を決意し、諸葛亮の協力を要請した。