吉川三国志

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呉の情熱(ごのじょうねつ) 赤壁の巻

内容 孫策(そんさく)のあとを継いだ孫権は、曹操より二十八、劉備より二十二も若かった。↓諸葛亮が隆中(りゅうちゅう)を出た年の六年前、建安(けんあん)七年の呉での話から始める。曹操は孫権に使者を送った。孫権の長男を上洛させよ、という旨である...
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出廬(しゅつろ) 赤壁の巻

内容 劉備と諸葛亮は意気投合した。↓「天下は曹操と孫権に二分されていますが、荊州(けいしゅう)と益州(えきしゅう)だけはいずれにも属しておりません」諸葛亮は続けた。「荊州と益州を奪い、両州を治めれば、曹操と戦うことができ、呉とは外交すること...
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立春大吉(りっしゅんだいきち) 孔明の巻

内容 劉備は諸葛亮に会うことができず、ついに年は暮れてしまった。↓年は明けて、建安(けんあん)十三年。劉備は易者に吉日を選ばせ、体を洗い清め、関羽と張飛をともない、諸葛亮のもとへ向かった。↓諸葛亮の草庵に着くと、諸葛亮の弟諸葛均(しょかつき...
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雪千丈(ゆきせんじょう) 孔明の巻

内容 劉備が隆中(りゅうちゅう)の村落に近づいたころ、あたり一面は真白になっていた。↓諸葛亮の草庵の門へたどり着いた劉備は、童子に在否をたずねた。「今日はあの堂のなかにいるようです」童子は奥を指さした。劉備は関羽と張飛だけを連れ、奥へ進んだ...
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孔明を訪う(こうめいをおとなう) 孔明の巻

内容 城門の番兵は、翁が面会にきている、と劉備に報告した。劉備は内門まで迎えに行くと、その翁は司馬徽(しばき)であった。司馬徽(しばき)は、徐庶(じょしょ)が劉備に仕えていると聞き、会いに来たという。徐庶はここにはいないことを劉備は説明した...
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臥龍の岡(がりょうのおか) 孔明の巻

内容 母の身を案じる徐庶(じょしょ)は同時に、劉備のことも気になっていた。劉備が訪れても諸葛亮は簡単に動かないだろうと。徐庶は母のいる許都へ向かう前に、諸葛亮のいる隆中(りゅうちゅう)へ向かった。↓徐庶は諸葛亮に、劉備公が訪ねて来られるので...
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諸葛氏一家(しょかつしいっか) 孔明の巻

内容 諸葛亮の祖先に諸葛豊(しょかつほう)という人がいた。彼は、前漢の元帝の頃、司隷校尉(しれいこうい)をつとめていた。父の諸葛珪(しょかつけい)は、泰山(たいざん)の郡丞(ぐんじょう)をつとめていた。↓兄の諸葛瑾は、洛陽(らくよう)の大学...
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立つ鳥の声(たつとりのこえ) 孔明の巻

内容 次の日の早朝。徐庶(じょしょ)は劉備のもとへ向かった。↓徐庶は劉備に会い、単福(たんふく)は仮の名で、本当の名は徐庶であることを告げ、詫びた。そして母の手紙をとりだした。「母の行く末を見終りましたら、かならず帰ってきますので、お暇をい...
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徐庶とその母(じょしょとそのはは) 孔明の巻

内容 新野(しんや)で劉備軍に敗れた曹仁(そうじん)と李典(りてん)は、許都(きょと)へ逃げ帰ってきた。曹操はふたりに対して敗戦の責任を問わなかった。ふたりからの報告により、単福(たんふく)という者が劉備の軍師として参加していることがわかっ...
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軍師の鞭(ぐんしのむち) 孔明の巻

内容 劉備軍に敗れ、敗走していた曹操軍の呂曠(りょこう)と呂翔(りょしょう)は、待ち伏せしていた劉備軍の張飛と関羽に斬られた。↓曹仁(そうじん)は激怒し、すぐに新野(しんや)へ攻め込もうとしたが、李典(りてん)は反対した。「二心を抱いたな」...
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吟嘯浪士(ぎんしょうろうし) 孔明の巻

内容 劉備は司馬徽(しばき)の宅を去った。↓新野(しんや)へ帰った劉備は孫乾(そんけん)に書簡を持たせ、劉表(りゅうひょう)のもとへ向かわせた。↓劉表は、蔡瑁(さいぼう)が襄陽(じょうよう)の会で陰謀を企てていたことを知り、激怒した。「蔡瑁...
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琴を弾く高士(ことをひくこうし) 孔明の巻

内容 劉備はひとり、広い野をさまよっていた。このとき、四十七歳になっていた。↓彼方から牛の背にまたがった一人の子供が近づいてきた。「劉備様とちがいますか」すれ違いざまに子供は言った。耳がとても大きいので、そう思ったというのだ。子供は司馬徽(...
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檀渓を跳ぶ(だんけいをとぶ) 孔明の巻

内容 「近年、豊作が続いており、各地の諸官吏(かんり)を襄陽(じょうよう)に集めて慰労の大宴を開かれてはいかがでしょうか」ある日、蔡瑁(さいぼう)は主君劉表(りゅうひょう)に言った。「襄陽の会にわしは行かぬ」劉表は言い、代わりに劉備を主人役...
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食客(しょっかく) 孔明の巻

内容 曹操は冀州(きしゅう)の城にとどまり、漳河(しょうが)のほとりに銅雀台(どうじゃくだい)を築いた。息子の曹丕(そうひ)と曹植(そうしょく)を鄴(ぎょう)城へ留め、曹操は約三年ぶりに許都へ引き揚げた。 ××× 劉備は荊州(けいしゅう)の...
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遼西・遼東(りょうせい・りょうとう) 孔明の巻

内容 曹操は旧袁紹(えんしょう)治下の全土を手に入れた。↓袁紹の息子袁煕(えんき)と袁尚(えんしょう)は、遼西(りょうせい)の烏丸(うがん)にいた。↓曹操は遼西(りょうせい)、遼東(りょうとう)の地を治めるため、大軍を擁して進んだ。↓易州(...
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野に真人あり(やにしんじんあり) 孔明の巻

内容 建安(けんあん)九年七月。曹操軍は冀州(きしゅう)の本城を占拠した。↓ある日。馬に乗った曹操配下の許褚(きょちょ)は、東門から入ろうとした。「おれの姿を見たら礼儀ぐらいしたらどうだ」許攸(きょゆう)は許褚の前に立った。許褚は許攸を斬っ...
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邯鄲(かんたん) 孔明の巻

内容 「曹操が来る」と聞いた袁尚(えんしょう)は、平原(へいげん)の囲みを解いて、鄴(ぎょう)城へ退却した。袁譚(えんたん)は城を出て、袁尚軍の後陣を攻めた。そして、しんがり大将の呂曠(りょこう)と呂翔(りょしょう)を手なずけて、曹操に仕え...
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自壊闘争(じかいとうそう) 孔明の巻

内容 建安(けんあん)六年九月。劉備は劉表(りゅうひょう)を頼って荊州(けいしゅう)へ向かった。劉表は郭外三十里まで出迎え、劉備らを歓迎した。↓建安七年の春。曹操は冀北(きほく)征伐に向かった。袁紹(えんしょう)の息子である袁譚(えんたん)...
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泥魚(でいぎょ) 孔明の巻

内容 早馬の知らせを受けて、曹操は計画を変更した。・曹洪(そうこう)は黄河に残る。・曹操自身は汝南(じょなん)にいる劉備を攻める。↓劉備はすでに劉辟(りゅうへき)と龔都(きょうと)の兵とともに汝南を出発していた。しかし曹操軍はあまりにも早く...
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十面埋伏(じゅうめんまいふく) 孔明の巻

内容 袁紹(えんしょう)はわずか八百騎ほどの味方に守られながら、逃げていった。配下田豊(でんほう)の諫めを用いていればと袁紹は後悔した。田豊とは仲のよくない逢紀(ほうき)は袁紹に、獄中の田豊は袁紹軍の大敗を聞いて手を打って笑っていたそうです...