吉川三国志

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酒中別人(しゅちゅうべつじん) 図南の巻

内容 葭萌関(かぼうかん)を退いた劉備(りゅうび)は、荊州(けいしゅう)へ帰るため、高沛(こうはい)と楊懐(ようかい)が守る涪水関(ふすいかん)へ向かった。↓涪水関の大きな建物が見えた頃、関門から一群の軍隊が劉備軍の方へ向かって来た。遠路途...
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上・中・下(じょう・ちゅう・げ) 図南の巻

内容 葭萌関(かぼうかん)で、漢中の張魯(ちょうろ)軍と蜀(しょく)を守る劉備(りゅうび)軍は対峙(たいじ)していた。両軍はたがいに譲らず、幾月かが過ぎた。↓曹操(そうそう)が呉へ攻め下った、という知らせをを受けた劉備は、軍師龐統(ほうとう...
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日輪(にちりん) 図南の巻

内容 孫権(そんけん)の妹でもある劉備夫人は呉(ご)の都へ帰った。母の病気を心配する妹に対して、孫権は阿斗がいないことが不満だった。妹を母のいる後宮へ追い立て、孫権は政閣へ向かった。↓孫権の妹が呉へ戻ったことにより、縁故関係はなくなった。孫...
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珠(たま) 望蜀の巻

内容 漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)が大兵をあげて攻めて来た、という知らせが、蜀(しょく)国境の葭萌関(かぼうかん)から届いた。↓劉璋(りゅうしょう)はそのことを劉備(りゅうび)に伝えて協力を求めると、直ちに兵を率いて劉備は国境へ向か...
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鴻門の会に非ず(こうもんのかいにあらず) 望蜀の巻

内容 建安(けんあん)十六年冬十二月。劉備(りゅうび)は蜀(しょく)の国境へ入ると、孟達(もうたつ)が四千騎を率いて出迎えていた。↓大守(たいしゅ)劉璋(りゅうしょう)は、成都(せいと)をでて涪城(ふじょう)まで出迎えるため準備をしていた。...
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進軍(しんぐん) 望蜀の巻

内容 蜀(しょく)の劉璋(りゅうしょう)は気が弱く、策もなかった。漢中(かんちゅう)の張魯(ちょうろ)だけでなく、曹操(そうそう)も蜀を狙っていることを知った劉璋は、ただただ不安に駆られていた。「孟達(もうたつ)と法正(ほうせい)を使いに出...
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西蜀四十一州図(せいしょくよんじゅういちしゅうず) 望蜀の巻

内容 曹操(そうそう)が誇る虎衛(こえい)軍五万の教練を見学していた蜀の使者張松(ちょうしょう)の態度は、いかにもあざ笑っている風であった。「もし曹操が西蜀(せいしょく)に、この軍をもって攻めた時、蜀の者はみな逃げ隠れる術でも自慢するのか」...
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孟徳新書(もうとくしんしょ) 望蜀の巻

内容 蜀(しょく)の使者張松(ちょうしょう)を閣の書院へ連れて行った楊修(ようしゅう)は、茶をすすめ、遠来の労を慰めた。楊修は曹操(そうそう)が書いた孟徳新書という名の一巻を張松に渡した。張松はざっと目をとおすと、楊修の手へ戻し、孟徳新書の...
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蜀人・張松(しょくじん・ちょうしょう) 望蜀の巻

内容 近年、漢中(かんちゅう)では一種の道教が広まっていた。張魯(ちょうろ)という者が教主である。↓ある日。漢中の一百姓が、自分の畑から、黄金の玉璽(ぎょくじ)を掘り出し、庁へ届け出た。張魯の群臣は、天の意思であるとして、張魯に王位につくこ...
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兵学談義(へいがくだんぎ) 望蜀の巻

内容 曹操(そうそう)が謀った敵中作敵の計は成功した。馬超はわずか百騎に足らなぬ兵とともに、渭水(いすい)の仮橋まで逃げた。↓曹操配下の于禁(うきん)は馬超に迫った。馬超は蹴散らし、渭水の橋の上に立って、味方の集合を待った。↓夜は明けたが、...
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敵中作敵(てきちゅうさくてき) 望蜀の巻

内容 西涼(せいりょう)の韓遂(かんすい)の幕舎へ、曹操(そうそう)から旧交をあたためようとの書面がきた。韓遂は、旧情をうごかされ、翌日、甲(よろい)も着ずに、武者も連れずに、渭水(いすい)の曹操の陣を訪れた。↓曹操は内には招かず、陣外へ出...
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火水木金土(かすいもくきんど) 望蜀の巻

内容 曹操(そうそう)は渭水(いすい)を挟んで北の平野に陣を敷き、西涼(せいりょう)軍に対した。曹仁(そうじん)は築造奉行に任じられ、沿岸三か所に仮城建築を急いだ。↓西涼の馬超(ばちょう)は、その仮城建築が八・九分までできあがると、河の南北...
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渭水を挟んで(いすいをはさんで) 望蜀の巻

内容 軍法を破った曹洪そうこうを斬ろうとした曹操そうそうだが、諸人の諫めにより斬罪は猶予した。↓つぎの日。曹操本軍と西涼せいりょう軍は潼関どうかんの東方で激突した。兵力は西涼軍の方が強く、曹操軍は散乱した。馬超ばちょうらは曹操本軍へ入り、曹...
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不倶戴天(ふぐたいてん) 望蜀の巻

内容 曹操(そうそう)は、荊州(けいしゅう)にいる劉備(りゅうび)が蜀(しょく)を攻め入りそうだとの報告を受けた。丞相府(じょうしょうふ)の陳群(ちんぐん)の献策により、曹操は三十万の大軍を呉(ご)へ向けた。合淝城(がっぴじょう)にいる張遼...
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馬騰と一族(ばとうといちぞく) 望蜀の巻

内容 劉備(りゅうび)は龐統(ほうとう)を副軍師中郎将(ちゅうろうしょう)に任じた。↓建安(けんあん)十六年初夏のころ。劉備が治める荊州は勢力拡大に目ざましいものがある、という報告を曹操(そうそう)は聞いた。そばにいた荀攸(じゅんゆう)は献...
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酔県令(すいけんれい) 望蜀の巻

内容 諸葛亮(しょかつりょう)は新領地下の民情を視察しており、荊州(けいしゅう)を留守にしていた。↓龐統(ほうとう)は劉備(りゅうび)を訪ねて来た。諸葛亮から噂を聞いていた劉備は、すぐに会った。劉備は龐統の醜い風貌に興ざめした。龐統は諸葛亮...
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鳳雛去る(ほうすうさる) 望蜀の巻

内容 周瑜(しゅうゆ)の柩(ひつぎ)をのせた船は、荊州(けいしゅう)から呉(ご)へ向かった。↓孫権(そんけん)は周瑜の遺書に書いてあったとおり、魯粛(ろしゅく)を大都督に任命した。↓諸葛亮(しょかつりょう)は趙雲(ちょううん)と従者五百余を...
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荊州往来(けいしゅうおうらい) 望蜀の巻

内容 柴桑(さいそう)で、傷療養をしている周瑜(しゅうゆ)のもとに、南軍の太守に奉ずという詔が降りた。周瑜は孫権(そんけん)に書簡を送り、指示を仰いだ。↓荊州(けいしゅう)に、孫権の使いとして魯粛(ろしゅく)がやってきた。魯粛は荊州譲渡につ...
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文武競春(ぶんぶきょうしゅん) 望蜀の巻

内容 建安(けんあん)十五年の春。鄴城(ぎょうじょう)の銅雀台(どうじゃくだい)は八年にわたる大工事を終えた。冀北(きほく)の袁紹(えんしょう)が滅びて九年目となる。曹操(そうそう)は祝うために、許都(きょと)からここへ来ていた。↓「あの戦...
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周瑜・気死す(しゅうゆ・きしす) 望蜀の巻

内容 劉郎浦(りゅうろうほ)とよぶ一漁村まで呉(ご)から逃げて来た劉備(りゅうび)と夫人は、ひとつの船もなく、そこから動きようがなかった。銅鑼(どら)の音が聞こえ、追手の大軍がやってきている。そのとき、諸葛亮(しょかつりょう)が二十余艘の快...